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不登校から鬱 周りは思った以上に気にしていない【後編】

森下幸泰

高校への進学も就職も選ばなかった森下さん。その後はどのような進路を辿って今に至るのかを後編ではお伝えします。※前編はこちら :不登校生にとって先生の家庭訪問は逆効果 ?【前編】

ルネサンス高等学校

ーその後はどのような生活を?

基本は家で生活をしていていました。

中学校時代に遊びに来てくれた友だちが、高校に進学してからも遊びに来てくれたので遊んだりしていました。

メンバーの中で、就職をした子がいたんですが、その子が夜間の定時制高校に行くと言い出したので、それを聞いて急に焦りが出てきました。

直前に申し込んで受験をし入学をすることが出来ました。ただ、衝動的に受験をしたので学校には3日で気分が悪くなり行けなくなりました。

ー気分が悪くなるというのはどういう感覚?

吐き気がしたり、体がというか内蔵が重くなる感じです。

ー心療内科や精神科には行かなかった?

当時は、今みたいに気軽に行ける感じではなく、重い症状の人が行くというイメージでした。

そういうところに行くという発想もなかったし、勧められるということもなかったです。

ー定時制高校に行けなくなった後は?

行けなくなったショックで、3ヶ月位寝込んでしまったんですが、徐々に回復していき、また友だちとも遊ぶようになりました。

年度末が近づくと、来年度はどうするかを母親と真剣に話すんですが、話し合った結果「今の状態だと来年は高校に行くのは無理」という判断を2年間続けました。

ただ19歳の時に、成人式の時に「何かやっている状態にしたい」と強く思いました。

それを考えた時、仕事はアルバイトを含め敷居が高くて無理というのがあったので、そうなると学校しかないかなと思いました。通信制高校は自分の中で選択肢になく、出来れば毎日通いたいという思いがありました。

そうなると、当時は夜間の定時制高校ぐらいしか選択肢がなく、前とは別の高校に入学をすることにしました。

入学は無事に出来たのですが、2度目の高校も1週間くらいで学校に行けなくなってしまいました。

学校に関してはそんな感じでしたが、外に出かけられる行動範囲の幅は年齢と共に広がっていきました。

中学生の時は、日曜日以外は外に出れなくて、高校生の年齢になると、平日でも高校が終わったくらいの時間に出れるようになりました。

大学生の年齢になると、学生によっては午前中に講義がないとか午後に講義がないなどで遊びに出かける人もいるじゃないですか?

なので、大学生年齢になってからは時間を気にせず、出かけたい時に出かけるという生活になっていきました。






ー中学、高校、大学と学校から縛られなくなると精神的に楽になった?

そうですね。楽にはなりましたね。でもやはり世間の目を気にするという側面はありましたね。

19歳の時も定時制高校をすぐ辞めてしまったので、成人式までに「何かやっていたい」という当初の目標を達成出来なく、成人式当日の朝は、スーツは着たのですが、成人式に行くかどうかギリギリまで迷ったんですが、思い切って行ってみることにしました。

成人式に行く途中で、偶然、幼稚園時代からの同級生2人と数年振りに会いました。 同級生と一緒に会場に向かう途中の会話で「森下、今何しているの?」と聞かれました。

ドキドキしながら正直に「何もしていない」と答えたら、「いいなあ、気楽で」と言われました。

自分の中では、何か責められるようなことを言われるかと思っていたので、かなり拍子抜けでした。その時、今まで周りの目線を気にしすぎていたのかと思い、少し肩の荷が下りた気がしました。

ー自分が思った以上に周りは気にしていなかった?

そうですね、そんなに思ってた以上に周りは気にしてなかったかなと。

ーその後はどのような進路を?

通信制高校のサポート校が名古屋にあったんですが、次年度から私立の通信制高校の技能連携校になるというとこを知りました。

その学校は、不登校経験者が7割以上いて、20歳ぐらいの生徒もいると聞き「ここなら行けるかな」と思いチャレンジしてみました。

ー3度目の正直で学校には通えた?

はい。ただ学校に入ってみたら周りは15歳ばかりでした。

でも学校生活を楽しみたいという気持ちがあったので、最初はみんなに年齢を隠していました。

「中学はどうしてた?」と聞かれ「中学は行ってなかったよ」と5年前のことを昨日のように話していました(笑)

学校ではみんなと一緒にワイワイはしゃいで思いっきり馴染んでいました。最初はテンションを上げ、学校が始まる前からみんなで集まっていたんですが、年齢差と色んな性格の子がいるので、また、だんだん気分が悪くなってきました。

でも、一度休んでしまうと、またずっと休んでしまうんじゃないかという恐怖感が自分の中でありました。定時制高校に2回行けなくなってしまった経験があったので、相当無理して毎日通いました。

1学期は1日も休まず、遅刻もせずに通い、2学期に入り1日休んでしまったことがあったのですが、次の日は普通に通えたので、そういう意味ではもう大丈夫かなと確信しました。

小学校・中学校と性格は大人しかったんですが、高校では明るくなり、生徒会にも入ったりなど積極的に色んなことにチャレンジ出来るようになり、今までと180度性格が変わりました。

ー辞めた学校と何の違いが?

やはり、不登校の子が主に通う高校だったので、先生たちが不登校に理解があるという安心感がありました。

あとは、高校1年生の時にすごく尊敬できる先生に出逢えたのが大きかったです。

ー中学校時代の先生との違いは?

上から目線ではなく、生徒と同じ目線に立ってくれる先生が多かったです。

特に尊敬する先生は、一生懸命で明るくてノリがいい先生だったので友達感覚で楽しく話せました。フレンドリーで同じ目線で話が出来たところが大きく違いました。

ー高校を卒業した後は?

大学入学を目指したんですが、中学校に行ってなかったので、英語が致命的に出来ませんでした。

受験に失敗して、一浪したんですが、それでもダメで24歳の秋から通信制の大学に進学をしました。

大学では友達も出来、スクーリングの授業は大丈夫だったんですが、通信制なので自宅で行うレポートは完全に独学でした。 当時は、インターネットも出始めの頃でパソコンも持っていなかったので、参考文献を図書館で借りなくてはいけなかったり、教科書のどこを重点的にまとめればいいかなどが全然わかりませんでした。

小論文を書いて提出しても、結局その後のテストが受からない感じでした。レポートが進まなく、2年で休学をし、更に2年で退学をしました。

ー大学に行こうと思ったきっかけは?

高校が不登校の子を主に受け入れる学校だったので、当然元不登校の子が多かったです。

電話などで、友達と話し込むことが多かったんですが、気分が悪くなって行けなくなったことを普通の子たちに話すと、どうして気分が悪くなるのかそこから説明しなくてはいけなくなります。

不登校を経験している者同士だと、入り口はお互い共感が出来て、更に深いところまで話が出来るので、その奥の違いの話が出来るということがわかってきました。

次第に、こういう不登校の子たちと接する仕事がしたいなという思いが込み上げてきました。

ただ、通信制の大学に行きながらアルバイトをするという生活をしていたんですが、仕事に対して自分の中で大きな壁を感じてしまいました。

自分で求人雑誌でアルバイトを積極的に探すということが出来なく、知人からの紹介等で短期のアルバイトをしていました。






ー休学をしている時はどんな生活を?

それまでは短期のバイトをしていたんですが、長期の学童保育のアルバイトの話がきました。

不登校ではないですが、子どもたちと直接接する仕事なので経験になるかと思いました。 今まで子どもと接したことがほとんどなかったので手探りな状態でした。

特に高学年の女の子がすごく難しくて、小学校5〜6年生の女の子に嫌われてしまいました。高学年の女の子が中心になってみんなを引っ張っていくような感じのところだったので、その子たちに嫌われてると、何も動かせなくて手詰まり状態になってしまいました。

辞めたいと思いつつも、辞めるすべもわからない状態で続けたので、鬱状態になってしまいました。 そんなバイト生活と平行線で「登校拒否を考える夏の全国合宿」というのが東京であることを知り参加しました。

そこで名古屋の不登校の親の会の方と繋がり、親の会に参加をしたんですが、そこで名古屋にもフリースペースがあると聞き参加するようになり、そこの主宰の方が「心療内科に通ってみるのもいんじゃない?」と提案して下さいました。

その方の知ってる心療内科に通い始めて薬を飲んだら、劇的に元気になったんですが、原因の元が解決されてないので根本的な解決にはなりませんでした。

学童の方は、僕を特に嫌っていた5年生の子が6年生になり、あと1年我慢すれば自分を嫌っていた子が卒業していなくなるので楽になると思ったんですが、その流れが下の学年の子に波及してしまいました。

そこで心が折れて出勤できなくなってしまい、そのまま辞めさせてもらいました。

ー学童をやることにより体調面が悪くなった?

そうですね、悪くなってしまいました。

学校は大丈夫になったんですが、仕事に対してすごく大きな壁を感じました。 お金を貰うということに対して、必要以上に責任を感じてしまったので、それがすごくプレッシャーになっていました。






ー学童を辞めた後はどうした?

それが26歳だったんですが、東海豪雨(2000年(平成12年)に愛知県名古屋市およびその周辺で起こった豪雨災害)で自宅が被災してしまいました。

避難所で生活をしながら後片付けをしつつ、最終的に市営住宅に引っ越したました。 その後、卒業した通信制高校の技能連携校から「週2回事務の仕事をやってみない?」と誘いがありました。

生徒たちと仲良くなり、スクールソーシャルワーク的なこともやって欲しいと言われて勤めて見ることにしました。

1年半くらい勤めたんですが、勤めていたところが移転の為、閉校することになってしまい、移転先は規模縮小をした為、僕はそのまま退職になりました。その後は書店等でアルバイトをしていました。

ー「登校拒否を考える夏の全国合宿」に参加した後は他にも活動が広がった?

当時中学2年生の男の子が愛知県豊田市の親の会の世話人の方と一緒に参加をしていたんですが、豊田でもフリースペースを作りたいという話になりました。

親の会は公共の施設を借りて行っていたので、ここを使えば出来るんじゃないかという話になり、思い切ってやってみることにしました。

フリースペースは参加者が定着するのに1年は辛抱しなくてはいけないと言われていたので、まず1年は頑張ろうということで、頑張っていたらだんだんと参加者が集まり軌道に乗ってきて、屋外イベントや旅行イベントを開催したり出来るようになりました。

ーその後はフリースペースの運営を続けた?

フリースペースをやりながら、アルバイトをして生活をしていたんですが、自分の年齢も30歳が近づいてきました。

このままだと不登校の仕事で生活するのは無理だなと感じたので、仕事はフルタイムの仕事をして、空いている時間を使って出来る範囲で不登校の活動をしていくスタンスに変えました。

フリースペースは引退することにし、書店でのアルバイトでお金を貯め、パソコンスクールで資格を取りました。

派遣会社に登録して実際に働いてみたんだけど、鬱病が治ってなかったので、1週間〜2週間で行けなくなる事を連続して起こしてしまい、ドクターストップがかかってしまいました。

その時、卒業した通信制高校の技能連携校が経営移譲する事になり、在籍していた先生たちが学校の経営を引き継ぐ事になりました。

僕が不登校の親の会等に顔を出しているのを知り「うちの学校の宣伝をしてくれないか?」と言われ、学校の広報という肩書でアルバイトをすることになりました。

平行で鬱の治療をしました。鬱の回復時期を見て職安で仕事を探し始めたら、契約社員の仕事が見つかり、フルタイムで仕事をすることになりました。

そこで6年間働いたんですが、正社員になりたいという思いが強くなりました。

そして転職する為に仕事を辞めて、正社員に就くための活動をしたんですが、その時の年齢が40歳を越えていたので現実的に厳しいものがありました。

結局、手持ちのお金も尽き、派遣会社の紹介で派遣社員として仕事に就いたんですが、上手くいかず派遣の仕事を転々として心が折れてしまいました。

このままの生活を続けてたら自分がダメになると思い、短時間のパートの事務関係の仕事を見つけ就く事にしました。

ー現在は不登校生に関する活動をしている?

「不登校・学びネットワーク東海」という団体を立ち上げて世話人の1人として12年くらい活動を続けています。

ーそこではどのような活動を?

月に1回の会員交流会と5月に名古屋市にある東山動植物園での屋外交流会というのを行っています。

1番の目玉は10月〜11月にシンポジウムを開いているんですが、毎年100人以上が参加し、今年はスタッフを含めると200人を超えることが出来ました。

愛知県や名古屋市の教育委員会から後援もいただいています。

ーどのような経緯で立ち上げた?

2003年に愛知県で「登校拒否を考える夏の全国合宿」をやろうという話になり開催をしたところから始まりました。その時の参加人数は800名以上集めることが出来ました。運営の打ち合わせ等のやり取りにメーリングリストを作り、確か100人近くいたと思います。

実行委員会の人たちとやり取りをしていたんですが、そのメーリングリストで不登校の相談のやり取りも行われ、そのままメーリングリストを無くすのは勿体無いという話になりました。

その話と、僕が考えていた不登校関係の団体の横の繋がりの団体を作りたいという思いもあり、そこで呼びかけ人を集め、団体を起ち上げることになりました。

ー不登校の活動をしていくことは自身にとって良い影響になっている?

そうですね、自分の中のライフワークになっています。

また『ひきこもり その心理と援助』(西村秀明・編著)で体験談が書籍化されたりしました。

現在は短時間のパートの仕事をしながら次の仕事を探しているのですが、不登校・ひきこもりの就労支援のカフェを開いている方から「どうせ仕事を探すなら不登校関係の仕事を探したらいいのでは?」と言われ、再び不登校関係の仕事も探し始める事にしました。

ー悩んでる子たちに伝えたいことは?

自分だけが不登校というわけではなく、全国に12万人以上もいる、そしてずっと今の状態が続くわけではない。

理想としてはせっかく不登校をしていて、たくさん時間があるので、他の人が人が出来ないことに時間を使い、ゲームや漫画、アニメでもいいので、熱中できるものに熱中して欲しいです。

今は昔と違い、インターネットで様々な情報が簡単に検索でき、SNSやネットゲーム等で、家にいながら色々な人と繋がることが出来る。

不登校は自分に取って必要な充電期間と思ってほしい。充電が出来たら自分から動く力が出てくる、そして動き始めたら必ず道は開けるので、不安にはならないでほしいと思います。

周りは思った以上に気にしてない

周りの人の視線を早い段階で、いかに気にしないで生きれるようになるかで、生きやすさはだいぶ変わってくるのかもしれません。

<森下 幸泰(もりっち)>

中学校で不登校を経験。1999年に「ふりーすくーるゴロねの会」を設立し副代表、代表を歴任。2003年7月から「登校拒否・親の会(なごや)」の世話人(広報係)に就任。2004年には「不登校・学びネットワーク東海」の現在も世話人として活動中。2010年1月に「不登校OB会」を設立、代表。一時期活動を休止していたが2016年9月から活動を再開。現在は毎月交流会を開いている。

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