Load

元不登校生から、現代の不登校生へ
伝えたい想いがここにある

不登校生と元不登校生を繋ぐサービス
Clue(クルー)のご紹介

Clueとは?

不登校は面白い人生の幕開けだ

ラベリングのない場所くつろぎステーションつばさ【後編】

江頭雅史

通信制高校に通いながら大検(高卒認定)の資格を取ることが出来た江頭さん。その後、新たな試練が待ち受けていました。後編では現在のお仕事をされるまでを伺いました。※前編はこちら :30年前の不登校 ケースワーカーに助けられたから今がある【前編】

ルネサンス高等学校

ー大検(高卒認定)を取った後はどうした?

児童相談所は、18歳までの子どもを対象とする法律で出来ています。

施設の子ではないので、児童相談所という居場所から、放り出されるんじゃないかという嫌な予感がしました。

そんな中、「もうちょっと児童相談所にいたければ保育士の資格を取ったら?」と職員さんが提案して下さいました。”保育士の資格を取れば、年齢が18歳を過ぎても児童相談所だからいれるんじゃないか”と考え保育士の資格を取る決意をしました。

週に2〜3回程、職員さんが仕事が終わった後に保育士の試験勉強に付き合ってくれたんです。児童相談所なので児童福祉の本が山ほどあり、書籍を毎年買い換えるので、捨てる本を頂いて教科書代わりに勉強しました。

現在は短大卒以上でしか保育士の試験は受けれないんですが、僕は17歳という年齢でよ大検(高卒認定)を取れたので、経過措置で保育士の試験を受けることが出来ました。18歳で大検(高卒認定)取っていたら受けることが出来なかったので、これは頑張るしかないと思いました。

科目内容で医療のことは、通っていた心療内科の先生が診察中にも関わらず嫌がらずに質問に答えてくださいました。この時、「自分が頑張れば人に伝わるんだ」と感じることが出来ました。

実技は絵を描くのは苦手だったんですが、音楽はエレクトーンを幼いころから習っていたので先生に教えて頂き練習をしました。

その甲斐あって無事に合格することが出来ました。






ー保育士の資格を武器に児童相談所にいることが出来た?

それが…親切にしてくださった職員さん方は府の職員だったんで転勤があり転勤してしまったんです。

新しい職員の方々には、行政色の強い方たちだったので、今は25歳くらいまでは何とかするというルールが出来たんですが、当時は18歳で出ていかなくてはいけないという法律があるので児童相談所から出て行けと言われてしまいました。

自分たちでペンキを塗ったフリールームの部屋を倉庫にするからと、目の前で壊されてしまいました。他のメンバーともバラバラになるかと思ったんですが、弟分・妹分たちは僕についてきてくれました。

これからどうしようかと考えた時、”集まる場所がないとみんなの居場所がないよね”ということになり、児童相談所の近くにある大きな公園に集まるようになりました。

日程と時間を決めみんなで集まり何かをするということをやっていました。

そのうちメンバーのなかで働く人や結婚をする人たちが出てくるなか、僕は進学したいという思いが出てきました。






ー進学したいと思った理由は?

まず一つ目の理由は通信制高校の先生が素晴らしい先生だったので、その先生に影響を受けたということがあります。

その先生は「色んな人がいてもいい」ということを教えて下さいました。

他には、中学校に行けなかった影響で学校でやり残したことがあるという気持ちが強く、何らかの形で学校に関わりたいと思いました。

ー大学には入学出来た?

はい、大学は無事に入れました。しかし、進学するまでに大検や保育士の資格を取得したりと、頑張りすぎてしまったので、燃え尽き症候群みたいな感じで体がしばらく動けなくなってしまいました。

風邪が1ヶ月治らなかったり熱が引かなかったりしたので、診察を受けたらストレスの影響か膵臓(すいぞう)が動かなくなっていました。

ほぼ引きこもり状態になってしまい、児童相談所時代の心療内科の先生がいなかったら、人間を辞めてただろうなと思います。

診察で「膵臓が戻ることはほとんどないから、学校の先生になるのは無理だ」と言われてしまいました。学校の先生になるには健康診断があり、そこで引っかかってしまうとのことでした。

先生になりたくて大学に入ったので、この先どうしたら良いか悩みました。

そんな時、大学の学部に社会福祉学部もあり、社会福祉のお仕事は体が悪くても出来ることがあるとアドバイスをもらいました。

転勤したワーカーさんに連絡をして相談にのってもらったら、「体が悪くてもやる気があれば施設の実習なら交渉が出来るよ」とおっしゃって下さいました。

その後も引きこもりがちでしたが、ちょっとずつ前に進みながら卒業というゴールを目指しました。

ただ、教師への道が塞がれたので、学校への思いは益々強くなりました。

後々知ったんですが、実は教育実習だけは終わっていたので、教育実習以外の単位を取れば教育免許を取れる可能性があるということを教えてもらい、その後無事に教員免許を取得出来たんですが(笑)

ー現在の活動をするまでの経緯は?

児童相談所の仲間たちと大学時代も会っていたのでみんなで集まれる場所を作ろうよという話になりました。

自分がいた場所が潰されてしまったということもあり、不登校や不登校経験者の人が実際にぶらっと立ち寄れる、潰れない場所を作りたくなりました。

そのためにシンポジウムに出たり、元不登校生として色んな親の会に参加したりして潜入調査をしました。

実際の場所を探すのに行き着いたのが、大阪ボランティア協会というところでした。

そこに駆け込み”こんなことをやりたいんだけど場所を作りたい”と伝え、「くつろぎステーションつばさ」を構えることが出来ました。

本格的に場所を構えたのは2001年ですが、19歳の時から同じようなことをやっていて当時からブレてない考えが”ぶらっと来れる場所“ということです。

実際に場所を構えてみると「就労支援で失敗した」「全寮制高校に行ったけど卒業したらいきなり切り捨てられた」など他の支援でうまくいかなかった人たちが集まるようになりました。

立ち上げたばかりの頃は「児童支援派遣ステーションつばさ」という名前で活動をしていました。しかし、並行で不登校の子のメンタルフレンドの活動をしていた時に、直ぐに立ち直れる子とそうでない子の差が出ることに気が付きました。

学校や社会に戻れそうな子の場所を紹介することは出来るんですが、長期化した子たちも来れる場所にしようと考えた時に、来ているメンバーが全員18歳を越えてしまったんです。

そこで児童支援という名前はまずいよねとなり今の名前に改名しました。

のんびりまったり出来るし、相談所に行くようなことも聞けたり、影で支えている人たちは本当にプロフェッショナルな集団で体制を組んでいるので、長期化になってもフォローが出来る。

周りのメンバーがプロフェッショナルなので、自分一人で背負い込まないために、一人一人の子たちに対して見落としがなかったり、力が入りすぎて深入りしてしまうということも防げることが出来ます。

他の場所との違いは相談から入るのではなく、「居場所に来てもらうところからスタートする」というスタンスでやっています。

場所は都心に構えていますが、オフィス街の土曜日に開催しているので、人ゴミが苦手な子たちも来れるということ、初めて来る人も駅から近いのでわかりやすいという利点があります。

勿論うちを使ってくれもいいんだけど、他のボランティアや団体の方が合っているかなと思ったら繋げていくということもしています。

ちょっと変わっているのは、当事者や親御さんだけではなく、それ以外の人たちも集まるということです。

引きこもりの人と社会人の両方の世界が行き来してうまい具合に会話をしています。

社会人だけど生き辛さを感じている20〜30代の人たちが、引きこもりの人と交流する中で自分を見出していく。そうすると不登校とか引きこもりが特別なものじゃなくなっていきます。

ラベリングに散々悩んできたので、ラベリングのない安心した場所を用意することで、メンバーが自分たちで何かをしていこうという風に感じられると良いかなと思います。

ラベリングのない社会

不登校・引きこもり・発達障害…ラベリングをすることは簡単です。ラベリングをなくしていくことが、生き辛いと感じている人たちを生きやすい世の中にしていくことなのかもしれません。

< 江頭 雅史(まあくん)>

中2のクラス替え以降のイジメが原因で中学卒業まで不登校。
2001年、任意のNPO団体を立ち上げたのち、社会福祉士資格と教員免許を取得。
くつろぎをモチーフとした生きづらさを抱える20~30代の人の笑顔を増やすため「くつろぎステーションつばさ」を設立。
ソーシャルワーカーとして活躍するほか、公立高校で教壇に立ち社会福祉を教えている。
また、ライフワークとして、イジメや不登校ひきこもり問題の解決の糸口を追い続けている。

ルネサンス高等学校







不登校生と元不登校生を繋ぐサービス
Clue(クルー)のご紹介

不登校生と元不登校生を繋ぐサービス Clueのご紹介
不登校生の一番の理解者は、元不登校生です
私たちも味わったその経験を、現在の不登校生にお話します。

Clueとは?