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不登校は面白い人生の幕開けだ

悪徳裁判官のように自分を裁いていた【前編】

早野智則

今回インタビューをさせて頂いたのは、高校を不登校から中退、早稲田大学に進学するも対人恐怖症になってしまい、その後克服された早野智則さん。現在は独立されてご自身の会社を経営されていらっしゃいますが、とても楽しいとは言えない学生生活でした。前半では早野さんが大学に進学するまでをインタビューさせて頂きました。

ルネサンス高等学校

ー小学校は普通に学校に通っていた?

小学校の頃は普通に通っていましたが、幼稚園くらいの時に親が結構厳しかったんですよ。勉強と運動と友達関係とか、男の子なんだから気を大きく持ちなさいというのがありました。

頑張る習慣が出来たので、それはそれで良かったんですが、その影響から自分の中の基準が高くなりました

中学高校に進学した時に、自分の中でうまくいかないことが出てくるじゃないですか?そうなった時に、高い基準が発動して自分で自分をブチのめすようになったのが伏線としてありました。

後は、「変わってる」と昔から言われていて、小学校の時のあだ名が「フロル星人」ていう宇宙人だったんです(笑)教科書に載っていたんですが(笑)

小学校の先生から「お前は天才だからそう言われるんだ」とフォローされる始末でした。子供心に「違うだろ。」と思ったんですが(笑)

別に僕はそんなに気にしてはいなかったんですが、ただ自分は変わってるなという感覚はありました。

だんだんと、みんなと同じでなければいけないという圧力がありました。なので、変わっている自分が×でみんなと同じ自分が◯で、それに合わせなくてはいけないという思いがありました。

その影響で調子が悪くなるみたいなことがありました。高い基準の自分に合わせなくてはいけないというのと、変わっている自分を認められずに周りに合わせようという2つに苦しめられました。

ー学校に行かなくなったのは高校の時?

中学校の頃に1〜2ヶ月くらい行ったり行かなかったりしていた時があり、そこから学年がちょうど変わる時くらいにまた通うようになりました。






ー自身が変わってるなと思ったところってどういうとこ?

あまり空気を読まないところがありました。あとは衝動的というか、突然人をぶっちゃったりしていました。

ボケとツッコミみたいな感じなら良いんですが、そういう感じではなかったんです。自分で自分がうまくコントロール出来ないようなことがありました。

ーそれは中学生くらい?

小学校からですね。後は部活などの先輩後輩などの人間関係に馴染めなくて、独特のマイルールみたいなものがありました。

そんなに言語能力が高いタイプではなく、動きまわるタイプだったので内政的に自分を分析するというのがなかったんですよね。

ーADHDの傾向とやや一致しますね。

そうかもしれませんね。ADHDとアスペルガーの両方が入っている気がします。他は普通なので、大人になって発達障害の兆候があるがあると知って納得しました。

ー親御さんは厳しかった?

親は幼稚園の時は厳しかったけど、それ以降パタッと放任主義になりました。それが良し悪しなんで、それで良かったかなと思う面もあれば悪かったかなと思う面がありました。

ー中学校を休んだ時も何も言われなかった?

何も言われなかったですね。その後に高校を休んだ時も何も言われなかったですね。

ー高校には進学をした?

中学校3年生の夏くらいからすごく勉強をしました。それで高校に進学をしました。

サッカーをずっとやっていたんですが、サッカーで挫折をしたんです。高校とは別にサッカーをやっていて、挫折をして生きる支えがなくなってしまいました。

サッカーを諦めて悪い方向に進んじゃったんですよね。何もかもつまらない、生きていてもしょうがないみたいな気持ちになりました。

学校も行かなくなり留年になるじゃないですか?男子校だったので、男子校に4年も5年も通うのが嫌だったので辞めました。

ーいつくらいに高校を辞めた?

高校2年生の5月くらいから行かなくなり、高校2年生の秋か冬くらいです。4月くらいに後輩が入ってきて、後輩の方がサッカーがうまかったのも引き金になったんですよね。

ー学校に行かなくなってから辞めるまでは家で何をやっていた?

家でずっと本を読んでいましたね。後は悪い友達と大宮当たりでブラブラしていました。ですので、外に出れなくなったことはなかったです。

現実感がないというか、おかしい状態だったと思います。世の中がぐにゃっと曲がって見えるような…。

そこから高校を辞めた後に、通信制の高校に転校をしました。そこも行く意味がないような感じがして辞めました。

週に1回くらい学校に行く日があったんですが、それには通っていたんですが、周りの人たちと会話が合わなくて自然消滅していきました。

ーその後はどういう生活を?

その後は、ブラブラしながら、バイトをちょっとしていた気がします。

ー何故大学を目指そうとした?

そっから色々考えたんですよ。高校3年生の秋くらいに、このままでは駄目だと思いました。まだ働きたくなかったので、専門学校に行こうか大学に行こうか考えました。

ー大検を受けた?(現在の高卒認定)

はい、高校3年生の秋くらいに勉強して冬に受けて受かりました。

ーそんなにすぐに受かるもの?

大検は中学校卒業くらいのレベルで受かることが出来ます。家庭科と保健と英語くらいを勉強すれば大丈夫でした。

ーそこからどのように勉強を?

本屋に行って松永暢史先生の「受験術」という本があったんですが、その方法がすごく良くて、その通りにやったら大学に受かりました。

ーどういう勉強法?

まず勉強する範囲を狭めましょうということで、普通の高校生が100勉強してそのうち20テストに出るとしたら、松永先生の勉強方法は30勉強して20テストに出るからその分だけ頑張ろうという方法でした。

結局、文系の場合は国語力だから国語と英語は似たようなところがあるということで、文章を読んで理解をする。文章読解力を高めるために、ひたすら音読をするという感じでした。

勉強というよりスポーツに近い感じが合っていたのかもしれないです。

ー何故、スポーツに近い?

例えば英語も英文法で論理的に考えてやっていくよりかは、感覚的に反復練習をしてというのが、声を出してリズムカルだし、スポーツに近いという感じです。

ー1年間勉強して、どこの大学に進学した?

早稲田大学の法学部に受かりました。しかし、そこからが大変でした。






自分自身を受け入れること

自分自身を悪徳裁判官のように裁いて苦しめられていたと語った早野さん。競争社会だと、どうしても人と比較することで苦しめられる部分があると思いますが、何よりもありのままの自分自身を受け入れることが何よりも大切なことだということを実感させられました。

<早野智則>

高校中退後、大検定(高卒認定試験)を取得。その後、早稲田大学に合格するも対人恐怖症になる。克服し、中小企業のコンサルティング会社に7年間勤務。現在は不登校支援団体の株式会社FCファナッチ代表として、カウンセリングと家庭教師を行っている。

ルネサンス高等学校



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私たちも味わったその経験を、現在の不登校生にお話します。

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