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不登校は面白い人生の幕開けだ

役割は居場所を見つける手段になる【後編】

美空

中学校卒業後に一旦社会に出た美空さん。その後どのような流れで声優という夢を見つけ、映画制作に携わったのでしょうか。後編では美空さんの現在までをお伝えします。※前編はこちら :体罰から不登校。中学卒業と同時に一旦社会に出る利点とは?【前編】

ルネサンス高等学校

─その後はどうした?

専門学校に行きました。アニメ声優になりたくて、県外の福岡の学校に入学をして、初めて一人暮らしをしました。

─年代的にはみんな一緒?

そうですね、年は1個下の子ばかりだったのでだいたい一緒でしたね。

─声優をやりたいみたいなチャレンジ精神が生まれたきっかけは?

不登校時代にずっとアニメを見たりゲームをしたりしていたので、大げさに言うとそれにすごく支えられていて、自然とこっちの世界が楽しそうだなと思いました。

18歳くらいの時に、私が声優になっているリアルな夢をみて「これはやるしかない」と思い、その日のうちに資料請求をして、特待生オーディションというのがあったんですがその日のうちに申し込みもしました。

─夢で火がついたんですね。その専門学校には通うことが出来たんでしょうか?

それがそこでもまた不登校になってしまいました。色んなことがあって1年で退学しました。






─行かなくなったきっかけは?

怒られることが異常に恐ろしくなって、何にも出来なくなってしまい学校に行けなくなりました。

─働いてた時に怒られてたりもしたんですよね?

そうですね、そっちは続けられたのに専門学校はダメでしたね。

─学校という空間自体がそもそも苦手?

苦手なのかもしれないですね。

最初ものすごく楽しかったんですが、色んなことがうまく行き過ぎちゃって。学年でオーディションがあり受かることが出来ました。受かって嬉しいのもあったんですが、それよりもプレッシャーが大きかった。

プレッシャーに弱く「怒られる」みたいな被害妄想がものすごく広がってしまいました。

─学校を辞める決意をし、その後は?

一旦実家に帰って、最初に働いてた和食レストランでバイトで働きました。

その間に地元の和太鼓チームに入ってたんですが、その紹介づてで地元のケーブルテレビのナレーションをちょこちょこ貰いながら、何とか夢に近づく方法がないかを模索しました。

─東京に出てくるきっかけは?

その時全然お金がなかったんですが、大分駅で求人雑誌を見つけました。

求人雑誌で、お仕事だけではなく、寮にも入れて旅費も出るという求人を見つけて「これだ!」と思いました。

─何のお仕事だった?

工場ですね。

─アニメの声優になるには東京に出てくるのが大切という思いがあった?

そうですね、事務所とかはほとんど東京ですし仕事も東京が多かったので。

─工場でのお仕事はどのくらい務めた?

最初は半年限定だったんですが、居やすい環境だったのでその後7年くらい勤めました。

女の人がほとんどいなくて、その環境がすごく合っていました。

─その間に声優に対するチャレンジをした?

そうですね、お金を貯めて養成所に通ったりしました。その間に1件だけ声優さんのお仕事を頂けて夢が叶ったんですが、そこからも色々あり…。

─色々というのは?

どうしても「怒られるのが怖い」というとこにぶつかってしまうんです。このままだったら、万が一夢が叶って声優さんになれたとしても、絶対に上手くいかないと思いました。

夢だけではなく、私生活にも影響すると思い、夢を一旦ストップしてそのことに本気で向き合うことにしました。それまでは、「私の頑張りが足りないからこんな風に思ってしまう」んだと考えていたんですがどうもそうじゃない。

そうなってしまった原因は、不登校時代にものすごく怒られたのがきっかけというのがあったので、不登校の時の自分と向き合うことにしました。

そこで不登校経験者が集まるオフ会に参加しました。もしかしたら他にも色んな人がいて色んな人の考え方を学べば私の闇が解決できるかもしれないと思ったからです。

その流れで不登校関係のスタッフとしてお手伝いをしました。先日、上映された不登校をテーマにした映画の『円~CHANGE my life~』もその流れで作ることになりました。

─映画を制作して何か気づけたことは?

保護者、今学校に行けてない子、経験者の話など、色んな立場の人の話を聞くことが出来ました。最初は「子どもだけが可哀想」とか「子どもが一番辛い」と思ってたんですが、そんなこともなく、どの立場の人もみんな辛いんだなと思いました。

先生は先生で大変だし、親は親で大変だし、「みんながみんないっぱいいっぱいになっている」ということに気付きましたね。

─どういうメンバーで制作を?

いばしょクラブという不登校サークルがあるんですが、そこの経験者オフ会というオフ会で集まったメンバーで制作しました。

─何人くらいで制作した?

当初主要メンバーは5人だったんですが、50人はいかないんですがそのくらいの人数が集まりました。

その中でプロデューサーというポジションをやらせて頂きました。

─制作時間はどのくらい?

2年半くらいですね。

キャストもその時は学校に行けていない子もいたりしました。

学校のシーンの撮影で、実際の学生さんにも出ていただいたんですが、いじめで行けなくなった子や、人間関係で行けなくなったこもいたので、撮影をしていて辛い子が出てきたらすぐ撮影を止めようと思っていました。

そうなったら、スケジュールがどれだけ押しても構わないので、「一旦撮影を中断して話し合ったりしなががら進めよう」と気を張っていたんですが、実際はそんな心配が一つもいらないくらいみんなはしゃいでいました。

あの空間は一体何だったんだろうと思うくらいすごく楽しそうでした。

何であんな空間になったかわからないんですが、自分のことをわかってくれる人や、同じような境遇に合った人と一緒にいることの重要性をすごく感じた1日でした。

それから、個々に仕事を与えて一緒にやったら一生懸命楽しくやってくれることに気付きました。

「可哀想だから助けてあげよう」「支えてあげよう」というよりも、「これをやって欲しい」とか「こういうことを手伝って欲しい」と伝えると、助けてあげるんじゃなくて助けてもらえる。そういう力をどんな子でもそれぞれみんな持っているんだなと感じたりしました。

居場所の作り方は色々あると思うんですが、何か役割があることは自分の居場所を見つける一つの手段になるのかなと思いました。

─撮影に写っていないところが、ある意味ドキュメンタリー映画みたいな感じだった?

そうですね、今回の映画に関しては映像の中だけではなく作り上げていく過程がすごく大事だなと思いました。

自分の夢をストップして、不登校と向きあおうと思ってからの方が、自分の夢だった表現の道に逆に近づきました。

例えば映画を制作するにあたり、アドバイスをもらうために、声優の勉強をしていた時に知り合ったプロデューサーさんに聞きに行きました。声優を目指していた時よりも繋がりが出来たりして、不登校の経験やマイナスだと思っていた経験が、全部一直線に繋がりました。

人生に無駄はないんだなと感じました。

─今現在悩みを抱えている人たちに何かメッセージは?

生きてりゃなんとかなる、死なないでいいよということ。

社会には怖い人や厳しくて辛くて大変なこともたくさんあるけれど、優しい人も確実にいるという事を伝えたいです。

不登校時代は、「そんなんじゃ良い大人になれない」だとか「お先真っ暗だよ」とか「不登校だった経験を隠したほうがいいよ」とか「足元すくわれるよ」とか色んなことを言われてきました。

今まではそれがあり、「隠さなきゃいけない」と強く思っていました。でも今回映画の制作にあたり、応援してくれる人がたくさんいるんだなということを実感し、まだ社会は捨てたもんじゃないなと実感しました。






助けるという気持ちより個々の能力を信じて助けてもらうこと

今回のインタビューで美空さんは、逆に学校に通えていなかった子たちから助けてもらったことが多々あったとおっしゃっていました。「誰かを助ける」というより、「助けてもらう」くらいの気持ちの方が、居場所を見つける一つの手段になり、それがいずれは個々の自信に繋がるということを実感したインタビューでした。

<美空>

レストラン勤務、工場勤務などを経て、ナレーションや声優の仕事に携わる。不登校をテーマにした自主制作映画『円(まどか)~CHANGE my life~』のプロデューサー。

ルネサンス高等学校



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