Load

元不登校生から、現代の不登校生へ
伝えたい想いがここにある

不登校生と元不登校生を繋ぐサービス
Clue(クルー)のご紹介

Clueとは?

不登校は面白い人生の幕開けだ

アスペルガーの症状からみた学校の世界は?【前編】

澤波有吾

今回インタビューをさせて頂いたのは、世界中を旅してフリーライターをされている澤波有吾さん。澤波さんはフィリピン留学時代に知り合い、留学中は土日も英語の勉強をするくらいの努力家で、人当たりもよく、男女ともに信頼を受けるという印象でした。前編では大学時代までをインタビューしました。

ルネサンス高等学校

──幼少期はどんな子どもだった?

「悪く言うと他人の顔色を伺う」「良く言えば思いやりをもつ」という能力が先天的にない子どもでした。まだ実際には診断を受けてないんですが、おそらくアスペルガー症候群だと思います。幼稚園の頃は、もちろんそれにも気付いていなく、好き放題で生きていました。それで周りの人は、かなり被害にあっていると思います。

──例えばどのような?

本人を傷つける意図はないんですが、正直に何でも言ってしまい、それで人を傷つけちゃったりとか。ただ、幼稚園の頃はみんなそういうところがあるから、異常性がまだ気付かれなかったんです。「何でこんなに人は変なんだろう。自分と違うんだろう。」という違和感は常に感じていました。

小学校に入ると、他の子たちは徐々に人の気持ちがわかるようになってくると思うんですが、私は幼稚園の頃のままでした。

例えば先生から、「このノートを持ってきて」と指示を出されるとすると、私は具体的な指示をもらわないと、トンチンカンなことをしてしまうんです。クラス全員のノートを持っていけばいいのか、自分のノートだけを持ってきたらいいのか、新しいノートが足りないから持ってくればいいのかがわからない。

普通の人は、雰囲気や直感で先生が指示している意図が掴めると思うんですが、それが出来ないんです。

後々まで尾を引くことになるんですが、バイトとかでも「これやって!」という簡単な指示が多いじゃないですか?普通の人は、それに従うことが出来ると思うんですが、私はフローチャートで言ってくれないと理解が出来ないんです。

他にも人の話し声が周りで聞こえると、ノイズじゃなく、その話も頭の中に入ってきてしまうので、それまでも理解しようとしてしまったりしました。後は、集中力が強すぎて周りが見えなくなったりするので、同時に別の作業をするのが難しかったです。

人の言葉を額面通り受け止めて、皮肉が理解出来なかったり、逆に冗談を本気にしてしまったりしていました。

今まで起きたシュチュエーションと同じシュチュエーションが起きたら、こうするべきという人間関係のパターン学習しているんです。35年間も生きていると、そのパターンも豊富になってくるので。

小学校中学年くらいになると、周りじゃなく自分が変わっていることに気づき始めたので、生きていくのに不都合のないように変えていこうとしました。生きていくために最大限の努力をして、一瞬も注意をそらさず努力を繰り返し、望ましい人格を作り上げていきました。

しかしそれがとてもストレスで、学校が楽しかったことなんて一度もありませんでした。学校に行くことは、常にフルマラソンをさせられている感じでした。何より本当の自分が出せない、伸び伸び生きられないというのが辛かったです。

──小学校は苦しみながらも通い続けていた?

そうですね、そんな感じだったので小学校高学年になったらいじめに合いました。

小学校高学年の時に手塚治虫のブッタを読んで感銘を受け、「蚊だって命なんだから殺さないでおこう」と考えました。その影響で無抵抗主義というか、嫌がらせをされてもやり返してはいけないと考えていました。

そういうことを、言い方は悪いですが、学校の弱肉強食の世界でやってしまうと、舐められてしまうんですよね。その結果、「こいつはいじめていいやつだ」という印象になり、いじめが助長されてしまったんだと思います。

「彼が私を殴るのは、彼のせいではなく彼の教育環境や人間の本能によるものなのだから彼を憎んではいけない」と考えていました。

今にして思うと、反撃をするのが怖く、それを覆い隠すために自分を誤魔化していたところもあるかもしれません。

そんな感じの小学校生活だったので、到底、自己肯定感なんて持てないですよね。人と違うのは、私が周りよりも何か劣っているせいだと思っていたし、私が自分を成長させるのを怠っているからだと思っていました。

また当時から、哲学的なことを考えるのが好きだったので、人類は環境破壊をしているので絶滅する方が地球のためだ。生きているだけでは罪なので、人類である私は死ぬのが正しいんじゃないかと考えていました。

──ご両親はどのような対応を?

父親と母親はかなりワーカーホリックな人たちでした。尊敬はしていますが、親として見た時に、接触する時間は絶対的に不足をしていました。

それでなくても人の気持ちを理解出来なかったので、いくら母親が働きながらも私のことを考えてくれていたとしても、受信するセンサーが人より少ないことで愛を感じることが少なく、それも自己肯定感を持てなかった1つの要因かもしれません。






──中学校には通えた?

中学1年生の1学期が終わった時点で学校に行けなくなりました。ブラック企業に勤めている人が頑張りすぎた結果、鬱病になったみたいに、精神力の限界を迎え心が折れてしまいました。実は弟も小学校2年生くらいで不登校になっていて、母親もそれを認めていたので、中学校3年生まで学校に行かないという選択を取りました。

不登校時代は、家でずっとテレビをみたりするような生活をしていました。中学校3年生の時に、早く自立したいと思い親戚のおじさんが大工だったので、見習いで働き始めました。職人の世界は厳しく、また私も普通の人ならわかるようなことがわからないので、指示をよく理解できないまま実行した結果、失敗をして当たり前のように殴られていました。

今だったら、その人が嫌がっても嫌がっても、自分が完全にわかるまで聞きまくるという手段で乗り越えるんですが、当時の私はどうやったら改善出来るかがわかりませんでした。学校は学校で大変だったけど、大工は大工で大変でした。

──中学校を卒業した後は高校に進学した?

夜間の定時制高校に通いました。学歴がいらない職業でも、高校くらい出ていないと考えて、昼間は大工の仕事をして夜は高校に通う生活をしました。高校では、小学校の頃の失敗を繰り返したくなかったので、いじめられないように自分をプロデュースしました。

頭は悪い方ではなかったので、知識で一目置かせることが出来たら、いじめられないのではないかと考えました。後は、完全に分厚い仮面を作ってしまうのではなく、本当の自分もちょっと出せるようにしました。それが成功して高校は快適に過ごせました。

2年生になった時に、このまま一生殴られ続ける人生を送るのは無理だなと思い大工の仕事を辞めることにしました。

学校も1年生の頃は自由な校風だったんですが、2年時以降、先生の入れ替えもあって自由な校風がなくなっていってしまい、危機感を覚えました。

そんな現状をなんとかしたくて、生徒会に立候補したりもしましたが、落ちてしまいました。その結果、若気の至りで恥ずかしいんですが、「こんな窮屈になってしまった学校なんて辞めてやる!」と、大検(現:高認)を取って高校を辞めてしまいました。

──その後は大学には進学を?

はい、2科目だけの点数で入試を受けれる大学があったので大学を受けました。大学は自由なので特に苦になることもなかったんですが、コミュニケーションを取るのが苦手だったので、サークルなどにも入ることがなく、世間一般的に言われる充実したキャンパスライフは送れませんでした。ただ学問を習得するための大学生活でした。






フルマラソンを走っているような学校生活

フルマラソンを走っているような学校生活という言葉がとても印象的でした。アスペルガーの子たちにとっては普通の学校は地獄のような場所。本来の自分らしさを発揮できるような居場所が1つでもあればだいぶ精神的に救われるんだろうなと感じました。

<澤波 有吾>
フリーライター。1980年生まれ。中学3年間を不登校で過ごしたのち、働きながら定時制高校に通うも、3年次に中退。1浪と休学の末なんとか大学を卒業し、ライターとなる。得意分野は歴史と旅。日本で稼いでは海外放浪を繰り返すが、あるときインドで瞑想中に人生の意味に気づき、仏教と瞑想の道を歩むことを決意する。

ルネサンス高等学校



不登校生と元不登校生を繋ぐサービス
Clue(クルー)のご紹介

不登校生と元不登校生を繋ぐサービス Clueのご紹介
不登校生の一番の理解者は、元不登校生です
私たちも味わったその経験を、現在の不登校生にお話します。

Clueとは?