Load

元不登校生から、現代の不登校生へ
伝えたい想いがここにある

不登校生と元不登校生を繋ぐサービス
Clue(クルー)のご紹介

Clueとは?

不登校は面白い人生の幕開けだ

感性が豊かな子は今の学校に潰される?【前編】

相宮康人

今回インタビューをさせて頂いたのは、現在Webディレクターと画家のお手伝いをされている相宮康人さん。インタビューをさせて頂いた経緯は、Facebookで拝見した文章が素晴らしかったという流れから。普段から、セルフインタビューをしたり自分史をブログで書いている個性溢れる相宮さんの学生時代を前編ではお伝えします。

ルネサンス高等学校

──小学生の頃は学校に通えていた?

そうですね、通えてはいたんですがお腹が痛くなったりして通えなくなったことはありましたね。学校が基本的に嫌で何で嫌かは具体的にはわからなかったです。

──小学校のいつから?

4年生くらいですかね。蕁麻疹が出たんです。体は痒いし、頭も痒いし、口も乾燥するという症状が出ていました。

──そういう症状が出ていても通っていた?

兄弟が4人いるんですが、お兄ちゃんだからという理由で行かされるんですよね。朝起きれないことがよくありましたね。

──病院に行こうという話にはならなかった?

病院に行ったんですが、原因がわからなかったんですよね。皮膚科、内科、心療内科にも行きましたが何ともないという診断が出ました。「怠けているだけだろう」と言われました。幼稚園が皆勤賞だったんですが、そこで頑張りすぎたのかもしれません。

──その時自分のなかで頑張ったなという感覚はあった?

あったんじゃないですかね。親の期待に答えようという気持ちが強かったと思います。

──長男長女は不登校になる子が多いみたいだが、ご両親の期待が大きかったりした?

期待が大きかったんですかね……。ちょうどその頃は、父の会社が倒産したりして家族も大変な時期でした。

隣に母方の祖父と祖母が住んでいて、祖母がうるさかったので、母親が板挟みになっていたのを身近で感じてきました。母は祖父母に愚痴を言われるは、息子は学校に行かないはで、夫の仕事は無くなるはで、かなりノイローゼ気味になっていました。

父はもともと放任主義という性格もありますが、あまり何にも言われた記憶がありません。これまで海外を飛び回る商社マンだったのに急に会社が倒産して自信喪失していただろうし、子どもが4人もいたので、それどころではなかったのかもしれません。

ある日、学校に行かない僕を見て「どうしてなの?なんでなの?」と母が泣きだしたのですが、どうしてなのと聞かれても僕はもう身体が言うことを聞かないし、どうすることもできず、自分なんて消えてしまえばいいのにと思いました。母親に泣かれるのが何よりも辛かったです。

母方の家系がずっと公務員家系だったので色々厳しかったんですよね。






──学校の何がダメな感じだった?

先生が特に嫌でした。公務員という守られた組織の人なので、自分の考えがあまりない人が多かったという印象を受けました。学級崩壊があって先生が1年で3〜4回変わっていました。

──それはいつ?

小学校4年生の時ですね。先生をいじめたりしている子もいました。

──その時はいじめにあったりしたん?

僕はいじめられていなかったんですが、いじめられている子はいましたね。そういう空気も嫌でしたし、いじめがあると学級会とか開くんですが、何もしていないのに、自分も加害者になってしまい、みんなの責任みたいにされるのも嫌でした。

──団体で右向け右みたいな感じが苦手だった?

そうですね、軍隊みたいで無理でした。

──中学校に行かれて、中学校の時も休んでいた?

中学校の時は頑張ったんですよ。進学校に入れば、何かが変わって自由になれると思ったんです。内申点を上げるために、応援団長とか一通りやったんですが、体の症状は悪化するばかりでした。

毎日お腹が痛くて、成長期の関節痛もあったし、苦痛との戦いでした。ただ、勉強をするのが好きだったんで塾は好きでした。塾が楽しみで、学校の先生とは関わりたくないと思っていました。

──中学校の時も学校の先生が苦手だった?

無理でしたね。学校の先生に良い思い出は一つもないですね。とにかく話を聞いてくれなくて、頭ごなしに物を言うみたいな方が多かったです。

──高校は進学校に入られたんですか?高校は楽しかった?

はい、進学校に入りました。今でも覚えているんですが、高校の一番最初の授業が数Aで、中学校の時と何も変わらなくて、その時点で辞めたいと思いました。

辞めたいと思ってたら、4日目か5日目に原因不明の失神で倒れて救急車で運ばれました。その後はと「あと一日休むと留年ですよ」と言われるまでは、学校に行かないようにしました。おかげで成績表に「1」が7個もつきました。ちなみに3年間ずっと仮進級でした。

暗記するだけの勉強の意味の無さに絶望を感じました。自分の主義主張ではなくて、「これをやりなさい!」という押さえつけられるのが嫌だったという感じですね。

──どういう学校だったら行きたかった?

自由に何でもやらせてくれて、質問したら何でも答えてくれるような、百科事典みたいな先生がいたら行きたかったですね。

勉強をするのはすごく好きなんですよ。本もすごく読むんですが、勉強したいことをやらせてくれなくて、わけのわからないことをやらせるんだという気持ちがすごく強かったです。

──学習の内容自体にも疑問を感じてた?

疑問を感じていましたね。やりたいことがあるのに、無駄なことをしてられないよという気持ちがありました。数学も高校入試は100点をとったんですが、出来るからもういいという気持ちもありました。

塾の先生がすごく好きだった理由としては、情熱を持って教えてくれたんですが、学校の先生にはそれを感じられませんでした。担任になった先生が情熱がない人ばかりだったんです。塾の先生はいかに子供たちの好奇心を満たすかというのを刺激してくれました。好奇心を刺激されない暗記だけの勉強法だと、最終的に忘れちゃうじゃないですが。

好奇心に火をつける作業が一番難しいと思うんですが、塾の先生にはそれが出来る人がいました。

──高校時代の不登校中には何をされていたんですか?

高校の近くに金華山という昔織田信長が住んでいた岐阜城がある山があるのですが、そこを登っていました。下山してくるおじいちゃんおばあちゃんと挨拶を交わすのが楽しかったです。

あとは、マーティーフリードマンというメタル系のギタリストに熱中していたので、彼の曲を練習したり、夜はオールナイトニッポンを聞いたりしていました。

──話が戻るんですが、高校は留年ギリギリまでは休んでいてそれ以降は通えた?

はい、大学に行きたかったんです。大学にいけばまた自由になれると思ったので頑張って行きました。

──その後は大学に進学出来た?

はい、普通の大学に入ってもすぐに辞めるだろうと思い芸大系の大学に進学をしました。学校に来ていない僕がクラスで一番早く進学先を決めたので不穏な空気が流れました(笑)






好奇心を刺激出るような先生の存在が必要

学校に行こうとすると、腹痛が起きつつも、小中学校は頑張って通い、高校時代に遂に爆発して不登校になった相宮さん。現在は、個性を持っている人たちが活躍する社会になってきましたし、AIに負けないような特殊な能力を求められる社会に変わってきました。それなのに、未だに能力のある子たちが溢れだして苦しむ教育方針に変化はないです。こういった個性豊かな子たちが、楽しいと思えるような居場所作りが本当に大切になってくるのではないでしょうか。

<相宮 康人>
1990年岐阜生まれ。2012年大阪芸術大学芸術計画学科卒業。フィリピン・バコロドの韓国資本の英会話学校でインターン後、岐阜県の助成金を得て渡米。NY・ブルックリンのギャラリーでインターン。2015年NY、上海などで活躍中の画家・田中拓馬さんのブログを担当する。その後、Webディレクターを行いながら、株式会社アートラバーズを設立しオーナーになる。

ルネサンス高等学校



不登校生と元不登校生を繋ぐサービス
Clue(クルー)のご紹介

不登校生と元不登校生を繋ぐサービス Clueのご紹介
不登校生の一番の理解者は、元不登校生です
私たちも味わったその経験を、現在の不登校生にお話します。

Clueとは?