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不登校は面白い人生の幕開けだ

親が心を豊かにすることの大切さ【前編】

浅見直輝

今回インタビューをさせて頂いたのは、最年少スピーカーとして「TEDxTohoku2014」に登壇。“不登校だから輝ける”ことを伝える団体
「十人十輝(じゅうにんといろ)」の代表でもある不登校業界の革命児、浅見直輝さん。前編では不登校時代から高校時代までをお伝えします。

ルネサンス高等学校

目次

──学校に行かなくなった時期は?

中学校1年生の後半から中学2年生の終わりの約1年半ですね。

──きっかけは?

色んな誤解が積み重なったんですが、理不尽な暴力を担任から受けたということが一番大きかったです。

環境的な要因がそこで、後は自分自身の要因として、他の不登校生を見ていても思うんですが、良くも悪くも感受性がすごく強いなというのを感じています。

僕の場合はボコボコにされて嫌になり、1週間反抗として学校を休んだんです。寝てればいいですし、1日休むことはすごく簡単でした。でも1週間休むとクラスの状況が見えないじゃないですか?なので、みんな自分の悪口を言っているんじゃないかとか勝手に妄想をしちゃうんですよね。

最初のきっかけは暴力だったんですが、次に自分が勝手に色々と考えてダメだと思ってしまい、怖いから学校に行きたくないので、ひとまず1日休もう、いやもう1日休もうということが続きに続いて最終的に1年半まで伸びました。

──その間はどういう生活をしていた?

1年半で結構長かったので時期によって違かったんですが、大きく3つくらいに分かれる気がしています。

最初は昼夜逆転でひたすらネットゲームをしていました。高校生までって自分の通ってる学校が、自分にとって世界の全てという風になりがちで、学校に行かないことは自分の中では本当にあり得ないことでした。

社会の底辺だ、社会のクズだと思い続けて、窓ガラスを蹴って足を切って血を流し救急車で運ばれたり、薬を大量に飲んだこともありました。最初の頃は1日生きていることが圧倒的に苦しかったです。

その後は、ちょっとだけ落ち着いてきて、友達がメールをくれたり家に遊びに来てくれるようになりました。野球部だったんですが、野球部の子たちがローテンションで家に定期的にくるようになりました。友達は好きだったので一緒にゲームをしたりしました。

暴力を振るった担任の先生が野球部の顧問も兼ねていたんですが、その先生の配慮でした。かなり落ち着いてきてからは、適応指導教室に通いました。

──友達とはちゃんと会えた?

そうですね、結構時間はかかりましたけどね。弱い自分を見られるのがすごく嫌だったので。家庭教師にも来てもらいましたが、家に来てもらったのに追い返すなどしていました。とにかく人と会うのが嫌な時期も結構続きました。






──人と会えるようになったきっかけとかは?

一言で言うと親に騙されて適応指導教室に連れて行かれたのが外に出れたきっかけでした。

──親にはなんと言われた?

「卓球しに行こう」と言われて付いて行ったのがきっかけです。

当時の状況としては、外に出る唯一のタイミングがゲームの課金のためにWebマネーを買いにコンビニに行くことだけでした。その時は外に出れるんですが、それ以外で外に出るのは怖いし、見られるのが嫌だし、ちょっとでもニコニコしてこっちを見ている人がいたら、あの人は絶対に僕のことを気持ち悪いと思ってるんだなと勝手に感じていました。

それを差し置いてでも「好き」という気持ちが大きい時だけ外に出れました。それがWebマネーを買いに行く時でした。

卓球が元々好きで、1年位ずっと外に出ていなかったので、久々に体を動かしてみるのもいいかなと思い、渋々親に付いて行ったらそこが適応指導教室でした。

最初はすごく怒りが込み上げてきたんですが、適応指導教室に小さな体育館が付いていて、そこに卓球台があったので、卓球をしにいこうという言葉もあながち嘘ではなかったんですよ。親なりに相当考えてくれていたみたいでした。

今までネットゲームの世界でしか会話をしていなかったので、適応指導教室で久々に人と話をしました。人と会話をすると自分の頭の中の世界に別の世界が飛び込んできた感じがしました。人に会っていないと自分の思考だけで動いちゃうんですよね。

全てのものがネガティブに思える。例えばですけど、充電器の接続が悪いだけで、自分に対して死ねというメッセージだと受け取ったり、ちょっとお茶をこぼしただけで、やっぱり自分は必要がないんだ、社会から死ねと言われているんだと思ったり。全部自分の存在を否定する意味付けにしてしまっていました。

適応指導教室では、本当は人と話す事が凄く嫌だったのですが、相談員の方が卓球をしながらお話をした時に、悪態を付いても全部受け入れてくれました。「こんな自分でも、良いんだな」と思えて、何だかほっとしました。

振り返るとその時に居場所ってものがあったんだなと感じました。そこからちょっとずつ適応指導教室に通えるようになってきて、気持ちが立てなおしてきたという感じです。

──悩みを相談する相手というのはいた?

いや、いませんでした。相談員の方へも自分のことは相談はしてないですね。基本的に本音は話さずにやり過ごしてきたかなと思います。

──同じ適応指導教室のメンバーにもそういう話はしなかったですか?

誰にもしませんでした。適応指導教室のメンバーとは当り障りのない会話をしていました。適応指導教室では課外学習で保育園に行って紙芝居をしたり、野球場を借りてソフトボールをしたりしました。そんな中でも誰も本音は話していなかったと思います。






中学校3年生で学校に復帰。味方になってくれた友達という存在の大きさ。

浅見直輝

──中学校3年生で学校に戻った?

そうですね。中学校3年生で学校に行くかどうか考えた時に、とても大きい心理的障壁がありました。現実にはもちろんありませんが、どれだけ上を見ても終わりがない高すぎる壁を感じ、プレッシャーが大きかったですね。

学校に行く当日も仲が良い友達が迎えに来てくれて、渋々でしたが学校に行きました。振り返ってみると、自分の味方になってくれる人が1人でもいるかどうかって、学校にもう一回戻るかにおいてすごく大きいと思っています。

正直、学校の中でも自分が属するのってそのクラスだけしかないじゃないですか。僕が不登校になった要因として自分の居場所であるクラスで悪口を言われているんじゃないかと勝手に考えてしまい居場所がないと思ったこともありました。

味方をしてくれるような友達がいて、更にその友達がクラスの中心にいるような子たちだったので心強かったし、仮に他の人たちが悪口を言ったとしても、横で味方をしてくれるような人が1人いるかどうかだけでも、全然違うなと思いました。

──友達と行かなくなってからも縁が切れなかったのは、行かない時も連絡をとっていた?

元々友達がいる環境で一時的に自分が抜けていただけなのと、先生が繋いでくれていたというのがあります。学校側の配慮がないと繋がりはなくなると思いますね。自主的に不登校の友達に会いに行ける人っていうのは本当にわずかだなと思います。

──先生は変わった?

すごく反省はされてましたね。

──中学校3年になっても野球部は続けた?

はい、ちょっとネガティブな理由なんですが辞めることの方が怖かったというのが大きいですね。

──先生が原因だったのに戻った理由は?

基本的に僕は誰かに対してムカついたり怒ったりしないんですよね。なので、先生に対する怒りや、会いたくないという気持ちはありませんでした。不登校の経験があったから色々出来ていることもありますし、不登校の経験がなければ早稲田も目指していなかった。だから、今は先生に対する感謝の気持ちもあるくらいです。

ちょっと表現がおかしいかもしれないですが、僕は不登校で良かったと思っているので、不登校のきっかけをくれたというところは感謝しています。

──辞めることの恐怖心の方が強かった?

先生に対する恐怖心も多少はありましたが、不登校時代は先生も定期的に自宅まで来て謝っていらっしゃいましたし、もう状況的に自分に手を出すはずがないという部分では安心感もありました。

──ポツポツ休んだりもせずに、中学校3年生は完全復帰した?

そうですね、逆にポツポツ休む方が怖かったです。例えば、出席した方が、クラスのメンバーの自分に対する態度ってわかるじゃないですか。

もし僕がいなかったら、そこで悪口を言われるんじゃないかとか考えてしまうので、学校に行きたいからという強い思いではなく、悪口を言われたくないから毎日通わなくてはいけないという感じでした。

──適応指導教室にも行かれていましたし、出席日数としてそんなに内申に影響は出なかった?

めちゃくちゃ影響は出ましたね。50%くらいは欠席していたので、公立は行けなく高校は私立に通いました。

──私立は通信制とか定時制とかではなく?

そうですね、いわゆる一般的な高校に行きました。

──高校に入学されてからは人に関する恐怖心などは感じなかった?

正直、凄く怖かったです。中学校も高校も同じ地区だったんで、僕が不登校だったことを知ってる人たちがたくさん高校の中にいるんですよ。僕が不登校だったことを知っている友達と知らない友達が一緒にいる時は本当に怖かったです。

自分が不登校だったということがばれたら、いじめられてまた不登校になってしまうんじゃないかという恐怖はありました。なので、自分が不登校だったということをバレないようにしないという思いが強かったです。

ですが、友達とか家族に恵まれたなというのはすごく思います。家族もすごく支えてくれているので親の存在は大きかったなと思います。






自分(=母親)自身の心を豊かに保とうとした母親の対応

asami2

──親は学校に行かなくなった時に「学校に行け」と言わなかった?

最初は言ってました。あと父親って大概は不登校に関して理解がないと思います。不登校時代は父親が嫌いでしたね。

母親は僕のことを全力で救うために一時期、僕とほとんど関わらなかったんですよ。「直輝をどうこうしてあげよう」ではなくて、「自分(=母親)自身の心をとにかく広く大きく豊かに保とう」としていました。

それは的を得ていると思っていて、親御さんの心の状態ってその子どもの心の状態と一致すると思うんです。親の心の状態によって子どもの心の状態って変わると思うので。

僕は一人っ子ですごく両親から大切にしてもらってました。そんな1人だけの子どもが昼夜逆転生活になり、ひたすらネットゲームにハマって暴飲暴食をして自傷行為をしていた事は、親にとって本当に本当に心配で仕方なかったと思います

そんな時に母親が何をしていたかというと、最終的に子どもを救うことが出来るのは自分(=母親)だけだと考え、母親自身の心を豊かに保とうと、ひたすら心が温まるようなポジティブなことを書かれている作家さんの本を読んだり、エネルギーを得られる場所に行ったり、僕を支えるためにとにかく自分自身の心を豊かにすることに対して努力していました。

そのことは本当に大きかったなと思います。実際、僕は今まで不登校生の親御さん達、総勢1500名以上の方々を見てきたのですが、その上で母親自身の心の状態は本当に大切だと感じています。

たいてい、親御さんの表情を見た時に、その人自身が不安そうにしている場合は実際お子さんも荒れていて、親御さんがピンピンしている場合はお子さんが元気な事が多いです。親御さんの顔(=精神的な状態)を見るだけで、不登校の子どもの状態は大体わかります。

──実際にお母様がそういうことをされていると、何か伝わってくることなどあった?

母親がそういうことをしていたということは、大学生になるまで知りませんでしたが、今思うと常に母親は「直輝が一番大切だよ」とか「直輝は私たちの宝物だよ」とかポジティブな言葉をかけてくれていました。

本当に偉大だと思いますね。不登校生はあまのじゃくな人が多いと思っていて、僕自身親から優しい言葉をかけられても「うるせえ!どっかいけ!」などと暴言を吐いていました。ですが、表面的にはそんな態度でも、振り返ると心の奥深くでは無意識のうちに嬉しさとか安堵感が芽生えていたんじゃないかと感じます。






周りの協力があるかないかだけでこんなにも立ち直りが早い

味方になってくれる友人や、こんなに支えて下さるお母様がいらしたことは大変恵まれている環境だと思います。お母様の対応の仕方はほんとうに素晴らしいく、不登校関係なく本来の理想である母親像を描けています。是非、お子さんがいらっしゃる親御さんは参考にして頂きたいです。また、浅見さんはまだ大学生という若さで、現在の不登校生を救う活動をされていらっしゃいます。ご自身の努力の積み重ねもあると思いますが、周りの支えの大きさが一番人を変える影響力があると思います。後編では早稲田大学を目指した理由、今後の展望などを伺います。

<浅見直輝>
早稲田大学在学中。不登校になりかけた親友を支えるなど、不登校だったからこそ出来た事も複数経験。不登校の−と+の両面を知った経験を糧とし、十人十輝を設立。最年少スピーカーとして「TEDxTohoku2014」に登壇する等、不登校生が持つ“ポテンシャル”を発信している。

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