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不登校は面白い人生の幕開けだ

Youtube再生数120万回を超え「君へ」【後編】

祐日

色んな方の支えで無事に高校を卒業された祐日さんですが、その後も様々な壁にぶち当たります。しかし、「柱」となるものは変わらなかった。後編では現在の活動をされるまでをお伝えします。※前編はこちら :Youtubeでの再生数120万回を超え「君へ」アーティスト祐日さんも元不登校生【前編】

ルネサンス高等学校

──高校を卒業した後は?

広い世界を見たいという思いと、自分が色々と助けてもらった経験から恩返しをしたいという気持ちから、世界の貧しい国の国際協力をしたいと思い東京の大学に進学をしました。

一応、大学受験をして何とか受かることが出来ました。某大学に入ったんですが、国際協力のプロフェッショナルな教授が揃っている大学でした。最前線で活躍されている方々のお話を聞けたり、実際に現地に行ったり貴重な体験をさせて頂きました。

でも2年間で辞めてしまったんですが(笑)

──2年間で辞めたきっかけは?

色々きっかけがあったんですが、私が見た世界は浅い世界かもしれませんが、1つは貧しい国に行って「私たちが何かを施してあげよう」という気持ちで行ったんですが、実際に行ってみると貧しい国ほど心が豊かだと感じました。

子供たちの目のキラキラは何なんだろうと思いました。よそ者である私たちが来ても、ご飯を振る舞ってくれ、言葉も通じないのに手を引いてトイレに連れて行ってくれたりしました。そういう姿をみて、日本へ帰国をした時に感じたのが、先進国は食べるものも不自由がなく、ライフスタイルも自由なのに、心はどんどん孤独になっていくじゃないですか?

私はこういう世界を目指して国際協力をやっていくんだろうかと思ったんですよ。

日本人がお金を持って行って現地に井戸を掘ったりすると、井戸を巡って大戦争になるんですよ。誰の所有権だとかうちの村のものだとか。

やっぱり貧しい国にも色々バランスがあるし、日本も日本でバランスがあるし、そうなると最終的に物とかお金を与えても管理するのは人間の気持ちじゃないですか?そう思ったらもっとやるべきことは違うところにあるなと思って、メッセージを伝える仕事をしたいと思いました。

国際協力はゆくゆくはやりたいですが、今の状況で物の援助だけに絞った世界に就職をするのは違うんじゃないかなと思ったのも1つです。

後はおばあちゃんが農業をしながら学費を払ってくれていたというのがあって、70歳を過ぎてそろそろ農業を辞めたいという声がチラホラ聞こえてきました。2年で卒業単位の3分の2くらい取れていたので、後2年間自由にする時間をお金で買うのなら辞めてもいいかなという経済的な理由もありました。






──メッセージを伝えていこうというという流れで歌手を目指した?

実はもうワンクッションあって、その前に外国人に日本語を教える日本語教師を目指したんですよ。
言葉と外国というのが私のテーマだったんで、日本語を外国の方に伝えて教えることで、外国にも行けるし言葉も伝えられると思ったんです。

でもいざ蓋を開けてみたら、言葉ってそっちじゃないなということに気づきました。外国の方と授業ではコミュニケーションが取れますが、現実的な話だと4年生大学を出ていないと外国で働くVISAが取れないと言われたんです。
スクールに入って80万のローンを組んでから知ったんですけど(笑)

日本でも大学の教授がサブ資格として取るのが主流みたいで、ずっと長くやられている方が上にいらっしゃるので、新人さんの入る枠はほとんどなく。腕も必要だし、アルバイトでしか生活をしていけないので、本業で食べていくのは厳しい世界だよと入ってから言われました。そういうこともあり、半年くらいは勉強したんですが、そこも辞めて行く道がなくなってしまいました。

色々考えたんですが、妹が小さいころからずっと歌手になると言って歌を歌っていたんですよ。ボイストレーニングに行ったり、高校もそういう専門の分野に行ったりしていたんですが、その妹が曲を書けないと言っていたので最初はそのために「曲作りでも勉強しようかな」という軽い気持ちでピアノを触りました。

──その時に初めてピアノを触った?

小さい時は習っていましたが、3歳から小学校に通えていた時までだったので、最初はドレミの場所がわかるくらいで楽譜も全然読めなかったです。譜面を見ながら夜中に練習をし、作曲を勉強し、ボイストレーニングも歌の心を知るために妹の行ってたところにお遊びで通い始めました。

その後、とある某スクール(※数々の有名なシンガーソングライターを輩出しています)との出会いがあり、そこに応募をしたら受かってしまいました。「じゃあ行ってみるか」という軽い気持ちで通いだしたら結構スパルタな学校で、来週までに何キロ痩せてきなさいみたいな感じでした(笑)

私も作曲コースに行けばよかったのに、何故かシンガーソングライターコースに行っちゃったんですよ。

──それは何故?

曲を書くといったらシンガーソングライターコースなのかなと思っちゃっていて(笑)シンガーソングライターだからライターなのかと思ったら、弾き語りをガッツリやるいような感じでその学校に2年くらい通いました。

──外見のチェックも厳しかったんですか?

はい、芸能の世界なので鍛えて頂きました。それ以外にも曲作り、ライブのやり方、音楽理論も教わりました。

でもレコード会社は20歳以上だとほぼ眼中にないみたいで、芸能界の一連の流れだと10代で発掘して育てて、20代前半でデビューさせて、24〜25歳の段階で落ち着かせてという感じなんです。私が音楽を始めたのが、22歳とかだったので、このまま学校にいても即戦力じゃないとちょっと厳しいということをチラホラ聞きました。

学校としては、自分の納得するまでいてもいいし、やりたいことが他にあるならそれをやっても良いんじゃない?という感じだったので折り合いをつけて辞める決断をし、そこからフリーになりました。






名曲「君へ」が世に出るまで

──その後はフリーで活動を?

そうだったんですが、それもなかなかうまくいかなくて。歌を始めたのが、言葉で人の心を癒したり、世の中を変えたり、メッセージを伝えたりしたいという目的でした。音楽をツールとしてやりたいことがあるタイプだった。よくある対バンとはライブハウスに何組かで出るじゃないですか?そうすると浮いちゃうんですよね。

お客さんは音楽を楽しむために来ているのに、私がそこで「世界を変えたくて」と伝えると場がシラケてしまうんですよね。他にもある時は、アイドル・アイドル・アイドル・

私・アイドル・アイドルみたいなライブがあったんですが、お客さんもアイドルを見に来ているのに、「あの子なんなの?陰気臭い」みたいな感じで……。

その時は、まだ年齢も23歳とか24歳とかで若い小娘が世界を変えるとか何を言っているの?という声が聞こえてきたりしました。そういうことは売れた人たちが言うことであって、「それまではちゃんと音楽やらないとダメだよ」みたいな。自分のやりたいことではなくて、自分のエゴを捨てて、人に聞いてもらえる音楽をやらなきゃいけないよというお話をされて、次第にライブが嫌になっちゃって。

でもそこは譲れないな。それじゃなきゃ音楽をやっている意味がないしと思って、また音楽を始めたにもかかわらず2年くらい引きこもったんです。しばらくライブには出ず、とにかく曲作りとボイストレーニングとピアノの勉強を3年くらいしました。

音楽は皆の感じ方がそれぞれ違うから、説明をしたら正解を提示してしまうので良くないと言われていたんです。あまり音楽業界ではナンセンスなんですが、私はずっと歌の経緯を説明したかった。ずっとそのためのイメージはあったんですが、自分でどうやって進んでいけばいいかわからなかったんです。

そんな中、2014年の7月にFacebookでお友達伝いに音楽で世界を変える「社会音楽家プロジェクト」というのを見つけました。「社会音楽家プロジェクト」は5分間最初にプレゼンをして、その後の5分間で歌を届けて、世界を変える10分間を届けますみたいな内容でした。

それを見た時に、やっと「これだ!」と思えるものに出会うことが出来て、その場でメールを送りました。その日に連絡がきて、今の所属しているレーベルの社長にお会いしました。でも「君へ」の曲は元々は世に出すつもりはなかったんです。

──何故で世に出すつもりはなかった?

あまりライブでの評判が良くなかったんです。私としても自分の気持ちの整理として記念に作った曲だったんで、その時はストックとしてとっておこうと思っていました。「ねぇ、教えて」という国際協力の切り口で作った曲でいこうと思いました。引きこもりのことも隠しておきたかったですし(笑)

そしたら「この曲あんまりぱっとしないね。他のはないの?」と言われ、じゃあ自分自身の話ですけど、「こういう経緯で学校にいけなくて、こういう経緯で作った歌があるんですけどどうですか?」と聴いていただいたら、「これいいじゃん!」という流れになりました。

──ご自身の経験を曲にしているので伝わってくるものが大きかったのかもしれないですね。

そうかもしれないですね。そこから2014年は社会音楽家プロジェクトに捧げて、2015年の4月にアルバムを出させていただいて、それを元に去年は活動をさせていただきました。実質、活動するようになったのは1年半とかですね。

そんな行き当たりばったりの人生なんですが、色々な場所で色々な人たちが助けてくださり、偶然が重なりなんとかやってこれたって感じです。

小学校も中学校も入ったところで卒業していないし、高校だけ唯一卒業しましたが、大学は辞めちゃったし、日本語教師の勉強も辞めてしまいましたし。

音楽だけはなんとかしようと思い続けてきたんですが、「世の中を幸せにしたい」という柱はずっとありました。そこをグルグルと色んなことをやりながらやってきたという感じです。みんなに助けてもらってるからそう思うんでしょうね。

──最後に悩んでいる子たちにメッセージは?

そうですね、周りの親御さんも心配だと思うんですけど本人が一番しんどいじゃないですか?「君へ」の歌詞が全てだなと思います。その時がここにしかない「自分は学校に行けない、家にしかいられない、それがいつまで続くかわからない」以上みたいな。

ガチガチの中で生きていくって、本当にしんどいと思うんですが絶対に「今が全てじゃない」
時が解決してくれるし、振り返ってみたら学生時代なんてほんの一瞬のことで、そこから先に色んなことがあるし、私はそれをアイデンティティとして、何ならそれを切り売りして歌を歌えている。

それは私にしかない財産だと思うし、マイナスなことも自分次第ではどうにでもなるなと思うし、それも個性だと思う。いっぱい悩んで、人の痛みのわかる人間になって、復活出来た時にそれは自分の力だと思って良い方に転換していけるエネルギーとして活かして欲しい。

ダメなときは存分に逃げて下さい。出来るようになったら頑張ればいいからとすごく思います。






助けるというプラスの連鎖

色んな方に助けてもらいその恩返しをしたいという想いが強い原動力となっている祐日さん。こんなに強い原動力を持つことが出来るのは、辛い経験があり、その時に全力で助けてた人たちがいたからこそだと思います。手を差し伸べて欲しい、周りにいる誰かを助けてあげるということが重要だということに気付かされました。

<祐日>
長野県松本市出身。幸せで豊かな世界を目指すお手伝いがしたいと思い、大学にて国際協力を学ぶ。その経験から「本当の豊かさとはモノやお金のことだけではなく、心のあり方である」と考え、音楽で言葉を伝えようと22歳の時に作曲を始める。1年後ライブ開始。東京都内のライブハウスを中心に活動。
学生時代10年近くの引きこもり・不登校を経験。2014年8月より社会音楽家プロジェクトに参加し、当時の自分自身に対してのメッセージソングである「君へ」を発表。
Facebook限定でリリースした「君へ」は1万ダウンロードを超え、Youtubeでの再生数は120万回を超える。コンセプトは、あなたの心、癒せるように…

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