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不登校は面白い人生の幕開けだ

親以外に最初に接する大人の影響力【前編】

祐日

今回インタビューをさせて頂いたのは、学生時代に10年近くの引きこもり・不登校を経験しつつも現在は作詞・作曲をご自身で手がけながら社会性の強いメッセージを送るシンガーソングライターとして活動されていらっしゃる祐日さん。当時の自分自身に対してのメッセージソングである「君へ」はYoutubeでの再生数が120万回を超えており話題を呼んでいます。前編では祐日さんの高校時代までをお伝えします。

ルネサンス高等学校

──不登校になった時期はいつ?

小学校1年生から2年生に転校した時に、転校生があまりいない学校だったので珍しがられたり、環境も長野の都会の方から田舎の方へ転校をしたので全然違って馴染めなかったり、他にも家の事情など、色んなことが重なり小学校は2年生の終わりくらいから6年生まで行けませんでした。

中学校に入学をした時、頑張ろうと思って気合を入れ過ぎたら、自律神経失調症のちょっと重い起立性失調障害という病気になってしまい病院に入院するようになりました。入院した先が、たまたまラッキーなことに校舎も体育館もプールも付いている病弱養護学校が隣接されていました。そこに3年間通って中学を卒業しました。

──中学校は最初の頃は頑張って行ってた?

中学校1年生の夏休み前くらいまでは行ってたんですけど、夏休み前くらいらか行けなくなりました。

夏休み中に病院に行ったら、病気の兆候があるから入院して生活リズムを整えましょうと言われました。その時に、こういう学校があるけど行ってみる?と進められてその学校に出会ったという感じですね。

──最初に通った中学校は小学校からのメンバーがいる中学校?

それもちょっと複雑なんですけど、小学校1年生からの転校したじゃないですか?そこから行けないまま5年生になり、このままだとやばいので小学校6年生の時に元にいた学校に戻してもらったんですよ。慣れた友達がいるところに戻ったら行けるかなということで戻ったんですけど、習慣として行けなくなってしまっていたので、行ったり行かなかったりを繰り返していました。

中学校は心機一転ということで、両方の小学校の頃のメンバーがいない地区の中学校に入学したので全く新しいメンバーがいる中学校です。

──そしたら最初にいた小学校のメンバーと転校した小学校のメンバーと入学した中学校のメンバーは更に違う?

違います。最初に入学をした中学校は夏休み前までので、病院の中学校は更に違うメンバーなんです。知り合いはありがたいことに増えたんですが(笑)

病院に隣接している中学校は本来、入院をしている時だけ通う中学校だったんで、席は元の学校にあるため、試験的に元の中学校に登校しなきゃいけなかったんですよ。数ヶ月に一回、試験登校として学校に行けるかどうか試験をする感じなんですが、その時も保健室にしか通うことが出来なかったので、病院の中学に居座っちゃいました。

──病院内にある中学校には通うことが出来た?

そうなんです。1学年に3人とかいない少人数で、行けない時は行かなくていいみたいな感じでした。小学校の時に靴の中に画鋲が入ってたり、無視されたりして、無視が一番きつかったんですが、同世代恐怖症になっちゃったんですよ。

学校がどうのこうのというよりも、人にどう思われているんだろうとか、ありのままでいると嫌われてしまうのだろうかとか、そういうチャンネルになってしまって、学校に1日行くと疲れちゃうので次の日には行けなくなったりしてました。

学校に通うということよりも、たくさんの同級生の中にいられないという感じだったので、病院の学校には通えたんです。

──同級生以外に行かなくなった原因は?

実は最初に不登校になった大きなきっかけが先生だったんです。具体的なことは言えないんですけど、それがすごくショックでそれに反発するために休みだしたんですよね。

学校に行きづらいというのもあったんですが、最終的にもう行かないと決断するきっかけになったのは先生だったんです。

──先生に対する恐怖心もあった?

そうですね、初めてちゃんと接する他人の大人じゃないですか。大人は信じられないのかなという考えが重なってしまいました。
父親も教師だったので、先生という存在がすごく近い存在で、考え深いものがあったんですが、中学に行って素晴らしい先生に出逢い先生も捨てたもんじゃないと思いました。






「先生」が決定打になった不登校。「先生」から教わったもの。

祐日

──そんなに心を閉ざしていたのに中学の先生にはどういう流れで心を開いた?

中学校で先生にすごく大事にして頂いたんですよ。本当にガチンコでぶつかってくる熱い先生でした。
例えば自宅に呼んでくださりBBQパーティーをしたりだとか。

中でも印象に残っているのが、中学3年生の夏休みにとある事件がおこりました。

「受験勉強をしたいので夏休みに学校を開放して下さい」と先生にお願いをしたんです。先生もわざわざ休日出勤をして下さり、夏休みに勉強をしていたんです。

ある日クラスメイトの子が「ちょっと体育館で遊んできます」と。その子は受験をする予定がなかったんですが、私が「羨ましい!いいな、私もサボりたい」と言ったんです。

それに対して担任の先生が「いい加減にしろよ。最近のお前はどうにかしてるぞ。何を考えているかわからないし、フラフラしてこのまま卒業したら本当に甘ったれた何にもない人間になってしまうから心を入れ替えろ」と本気で怒られ、号泣して「すみませんでした」と謝ったことがありました。

とにかく、何か1つでもいいから自分は最後までやり遂げたということを見つけなさい」と言われ「文化祭に向けて夏休みからやることを決めてステージで発表しなさい。時間をつくってあげるから」と言われました。

そこから毎日、先生が交換ノートをして下さりました。
演目は楽器を演奏するということを決め、そこからも土日を返上してレッスンをして下さりました。

ある日、「色々思い返して見たんだけど、祐日さんに色々期待をし過ぎていていたし、求めすぎていた部分があった。よく考えたらまだ中学生の女の子だし、大人としてみてたけど怒ってごめんね」と男の先生なのに泣いて謝ってくれました。

発表の前日も手紙を書いてくださり「今日までよく頑張りました。君は今まだ15歳だけど5年後にこの話を肴に一緒に酒を飲みましょう」と書いてありました。発表前に流す映像を作ってくださったりもしました。

この間もお正月にその話をしながら一緒に飲んできたんですけど(笑)今でも交換ノートはうちの家宝になっています。その先生だけではなくて、中学の先生も高校の先生も全員が全員そんな感じで。

先生によって学校に行けなくなったけど、先生によって復帰が出来たのが逆に良かったかなと思います。
良い面も悪い面も両方見てきたので、変なわだかまりがなくなった感じです。

──勉強はどうしていた?

勉強は小学校の頃はほぼしていないと思いますね。
2年生の九九くらいまでしか記憶にないので、中学の時は一生懸命やったんですけど、体の調子悪かったり、病院生活も9時に寝なくてはいけないとか決められていたので。受験勉強が全然出来ない状況で、宿題だけはやるという感じではいたんですけど、全然勉強どころではなかったです。

そんな時に私の年から高校入試でAO入試が始まりました。小論文と面接だったんですが、学力では全然入れないような高校だったんですけど、受けたらたまたま合格することが出来ました。入ってからが大変だったんですけど(笑)

──高校は普通に通うことが出来た?

全然です。浦島太郎なわけですよ(笑)

何が流行っているかも知らないし、中学時代も病院で生活をして、病院内の学校に通っていたので、買い物とかも行かなかったですし。初めて友達とカラオケに行ったりとか初めてのことが多すぎて。

そこでまた私も頑張ろうと思って、いきなり運動部に入ったんですよ。バトミントン部に入ったんですが全然ついていけなくて……。

周りの子たちは、今までバスケ部で頑張ってたけど、ちょっと休憩したいからバトミントン部に入るみたいな子たちがいる中で、1kmも走ったことがないような私が毎日10kmとか走らなきゃいけなかったりとか。

学校も行けないし、勉強もついていけないし、部活もそんな感じだし、ある日、担任の先生に「出席日数が足りないので高校辞めます」と言いに行ったんですよ。退学を伝えに言ったつもりが、「生徒会の席が1つ空いている。人が足りないので何でもいいから入ってくれ」と先生に言われ、その熱に押され生徒会に入ることになりました。

生徒会室でくだくだしているという空間が居心地が良かったし、いじめられなかったし、他のメンバーもいつも体調が悪いみたいな子が多くて、同世代も大丈夫だという安心感が出ました。授業は疲れちゃって行けないんだけど、放課後生徒会だけは行くみたいな感じでした(笑)

それと同時に、中学校の恩師である先生が親代わりのように接してくださったので、その先生に入れて頂いた高校を「1年足らずで辞めました」なんて報告することが出来ないと思い乗り切る決意をしました。

それから高校の先生方にも支えて頂きました。高校って授業単位じゃないですか?だから担任の先生も「火曜日の4限と木曜日の3限だけは絶対に出てこい」など、危ない単位の計算をしてくれて、そこだけは必ず行ったりして、何とか3年で卒業しました。

ほんとうに色んな方々に支えられていたと思います。

──中学校の先生や高校の先生の助けや、仲間も出来て、徐々に体調も良くなってきた?

そうですね、自信を取り戻せたというか。

──居場所があるってことが重要?

はい、本当にそう思います。落ち着ける場所……ないと焦るけどいつかは見つかるのかなと思いますね。






素晴らしい中学校や高校の先生との出逢い、仲間たちとの居場所。

どれも必要不可欠だったんじゃないかと感じました。本当に傷ついた経験を心の底から解消をし、祐日さんくらいに真っ直ぐ前を見れるようになるには、先生が原因なら先生で、仲間が原因なら仲間でしか、真の意味では傷は癒えないのかもしれないのかもしれません。後編では現在の祐日さんの柱となる考え方や立場に行き着くまでをお伝えします。

<祐日>
長野県松本市出身。幸せで豊かな世界を目指すお手伝いがしたいと思い、大学にて国際協力を学ぶ。その経験から「本当の豊かさとはモノやお金のことだけではなく、心のあり方である」と考え、音楽で言葉を伝えようと22歳の時に作曲を始める。1年後ライブ開始。東京都内のライブハウスを中心に活動。
学生時代10年近くの引きこもり・不登校を経験。2014年8月より社会音楽家プロジェクトに参加し、当時の自分自身に対してのメッセージソングである「君へ」を発表。
Facebook限定でリリースした「君へ」は1万ダウンロードを超え、Youtubeでの再生数は120万回を超える。コンセプトは、あなたの心、癒せるように…

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