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不登校は面白い人生の幕開けだ

パニック障害や強迫性障害の不登校 【前編】

岡田拓也

今回インタビューさせていただいたのは、パニック障害や強迫性障害がきっかけで不登校になった岡田拓也さん。現在はホテルマンとして接客業をしながら、趣味で漫画やイラストなどの作品を作りながら絵本作家になることを目指していらっしゃいます。前編では「自分の経験を伝えることで悩んでいる子たちを助けたい」と自ら名乗り出てくださった岡田さんの不登校経験だけではなく病気との向き合い方を伺いました。

ルネサンス高等学校

目次

──不登校になった時期は?

小学5年生の2学期まるまるですね。

良い先生がいらっしゃって、先生が軽い感じで「顔を出しに遊びに来いよ」と何回か言ってくださったのが大きかったですね。

ドキドキしながら学校へ行ったら、意外とみんな歓迎してくれて、何で怖がってたんだろうみないな。
だからなんかそんなに気を構えることはなかったんだなと思いました。

でも僕からしたら長く感じました。病気のせいでお風呂に入るのも怖かったんです。

──不登校になった時の先生の対応はどういうところが良かった?

担任の先生は「何でこないの?」みたいな冷めた対応でした。

他のクラスの先生がすごく良い先生だったんですが色々と気にかけてくれました。
遠足があって集合場所まで親に乗せて行ってもらったんですが、到着したら「あーやっぱり無理」となったんですが、先生が窓をノックして下さり「たまには遊んだらどう?でもまぁ無理しなくていいよ。遠足なんてこの先いくらでもあるんだから来たい時に来たらいいよ。」とおっしゃって下さいました。

すごく僕の意志を尊重してくださって、こんな優しい先生がいるのなら世の中捨てたものじゃないなと思いました。そしたら期待に答えようって気持ちになるんですよ。

──不登校になるよりも病気が先だった?

そうですね。元々学校が苦手だったんですが、ある日、家族とデパートに買い物に出かけてすごく楽しかったんです。

その1日が終わる帰りの車の中で、すごく不安になってしまい、心臓がバクバクして汗がダラダラ出て心のコントロールが効かなくなり発作が起こりました。自分の力では抑えることが出来なくなり、車の中で「死にたい!死にたい!」と叫んでいました。

今までにこんなことはなく、予兆は来るんですが徐々に鼓動が早くなってきました。

母親に車の中で「気分が悪い」と伝えたら「窓開ける?」と聞かれたんですが「開けないで」と伝えました。
窓を開けて外の空気を入れるのも怖く、とにかくこの状態を保っておいて欲しい。親がちょっと動くだけでも恐怖でした。






──それは何の病気?

パニック障害です。

──根本的な学校に行かなくなった原因は病気の症状が出たから?

そうですね。ただ、学校では友達にいじられるキャラでした。いじりをちょっと通り越した「いじり」と「いじめ」の間みたいな感じで接せられていて、それが苦手でした。人間関係もあまり良い状態ではなかったんです。人見知りだったし、人と話すのも苦手でした。

──症状が急に現われたわけではなく積み重なってストレスになった?

はい、デパートの楽しみからの転落したというのが根本的な原因ではないです。
元々、社会不安みたいな感じだったんですが、それが積もりに積もって、落差が引き金になりました。

──内向的な性格だった?

そうですね。家族がみんな優しくて、家族の前では明るかったし楽しかったんですが、だから逆に学校が怖かったというのがあります。

──家族が優しかったので学校の人たちとの落差が激しくて、それにちょっと抵抗感を感じたんでしょうか?

それが大きかったかもしれないです。だからって家族が優しかったのが悪いというわけではないです。僕がちょっと優しさに甘えすぎていたというのもあるんですけど。

幼稚園にいるときも母親と離れるのがすごく怖くて、「行きたくない。行きたくない。」と何回も泣いた記憶があります。でも行ったら行ったで幼稚園の時も楽しかった。別れ際とか行くまでがしんどかった。

──どういうところの接し方が優しかったんでしょうか?

いつもニコニコしていて、すごく温かさを感じました。何よりも母親に褒められるのがすごく嬉しくて、家事を手伝うことに使命感を感じていて、兄弟の中で一番お手伝いをしていていました。

不登校は家庭事情が原因てよく言うじゃないですか。必ずしも家庭の事情とかいじめが原因で不登校になるとは限らないですよね。学校も普通だったんですよ。いじめられていたわけでもないし、仲が良い子もいたし、やはり落差ですね。

あまりにも家族が優しすぎたというのもあるかもしれません。だからたまに小さい頃に父親に「もっと厳しくして」と言ってたんですよ。

──自ら言っていた?

そうですね。「もっと怒ってよ。なんで怒らないの。いとこのお父さんとかめっちゃ怒るじゃん。」と言っていました。

──お父さんはあまり怒らなかった?

あまり怒らないですね。滅多に怒らないんですが、でも怒った時は怖くてそこも落差ですね。

──小学校は薬を飲みながら学校に通っていた?

そうですね。薬の影響は大きかったですね。心が安定するし、気分も落ち着きました。

──その後、行き渋りなどもなく完全に行けるようになった?

はい、その時は完全に復帰しました。

──薬はいつまで飲んでいた?

小学校5年生から今も飲んでいます。パニック障害は治らないと言われているんです。ただ発作も2年以上なっていないし、強迫性障害というのも持っているんですが。

──強迫性障害というのはどういう症状?

わかりやすく説明すると、例えば家の鍵を閉めるじゃないですか?本当に鍵を閉めたかなと思って、何回も閉める行為をしたりします。他に例えると、お店から出てきた時にポケットに勝手に商品が入っていて、万引きをしてしまっていないかなと考えだしたり、色んなことに対して神経質になるんです。

──学校に行かなくなる前からパニック障害だけではなく強迫性障害の症状もあった?

今考えるとちょっとありましたね。
例えば小学校1年生か2年生の頃に、友達と河原で遊んでいたんですが、河原にゴミが集まっていたんです。
ゴミの中に高級そうなお皿があって、それを割ったら友達に「お皿を割ったらダメだよ」と怒られたことがありました。

その日はすごく不安な夜を過ごし、次の日に学校で友達が先生に告げ口をしました。そしたら先生が嫌な表情をしてこちらを見たので、ちょっとでも悪いことをしたらダメだという意識が芽生えました。

──良い子で育ったんでちょっとしたことですごく罪悪感を感じてしまう?

いやいや。もう1つ事例を上げると、小学校1年生の時に部屋の片付けをしていて、お菓子(チョコレート)を片付ける場所が見つからなくてたまたまランドセルの中に入れてしまいました。それを自分でも忘れて学校に行ってしまったんですが、教科書をとる時にチョコレートが見えて、すごく罪悪感を感じました。

チョコレートの蓋が空いていたことに気づかなくて、授業中にチョコレートが何粒か落ちてしまい、自分のお菓子だと先生が気付いて、すごい形相で「お菓子を持ってきたらダメだよ」と注意をされました。

意図的にやったわけではないけど、すごく罪悪感を感じました。自然に悪いことをしているんじゃないか、気づかないところで悪いことをしているんじゃないかと感じました。

そこから自分が悪いことをしていないか「これって犯罪?これっていけないこと?」と親に何回も確認をするようになりました。

そうすると常に不安になるじゃないですか?その流れで学校も怖くなって、家にいても親が優しいから逆に包丁で殺してしまうんじゃないかとか考えてしまい怖くなりました。家族ですら怖くなったので、学校は更に怖くなりました。

──想像をしちゃう?

そうですね、僕の場合は加害妄想なんですよ。危害を加えてしまうんじゃないか、学校に行って窓ガラスを急に割ってしまうんじゃないかとか。それで部屋に閉じこもるようになりました。






同じ境遇の子たちと接することで変われた考え方

岡田拓也

──その後は小学校を無事に卒業して中学・高校と順調に進学したという流れですか?

小学校から中学校まではそうですね。復帰してからは普通に過ごしていて中学の3年間も普通にすごしていたので、もう大丈夫じゃんと思っていてパニック障害の発作も少なくなってきました。

高校は物凄く頭が良い高校でも悪い高校でもなくいわゆる普通の高校に進学をしました。今時の子たちが集まる高校だったんです。

小学校と中学校は少し地味目な子たちと一緒に勉強をして、遊ぶときは家でゲームをするという感じでした。
高校1年の時に入ったクラスが、ゲームセンターに行ったりカラオケに行ったり、授業中とかも携帯電話をいじったりする感じで、そういう空間に馴染めませんでした。

あまりクラスの子たちとしゃべらなかったんですよ。次第に小学校5年生くらいの時の気持ちが蘇ってきて、クラスの子たちも自分を無視するようになってきたんです。こちらから頑張って話しかけてはみるんですが、自分に対して肯定的な意見や態度を見せなくなってきて、避けられるようになってきたんですよね。

その時は、クラスのメンバーが悪いと思っていました。自分に対して冷たい人間が集まったなと。でも今考えると、環境が違うことに対して自分が対応出来ていなかっただけだったんです。

みんな良いところも悪いところもあって、ただ環境が変わったというせいで、元々病気をもっていたので逃げてしまっていたんですよね。そこからまた高校に行けなくなりました。

──それはいつ?

高校1年の初めです。学校行かなきゃいけないけど学校に行けないという状態が嫌で6月には高校を辞めました。

このままじゃダメだということに何となく気付いていて、親が週に1回学校に行くだけでいいという通信制高校を見つけてきてくれました。週1回学校に行くのを我慢すれば、次の日から家で黙々と勉強をすればいいと思ったので、それなら気が楽だと思い通うことにしました。

通信制の高校に行く人は、色々な事情を抱えている人や、様々な年代の人がいたので、自分もこのままで良いんだなという安心感がありました。お互いを認め合えることも出来たし、相談もしやすかったし、それを自分自身の中で受け入れてる人たちが多かった。

同じパニック障害の人もいたけど「発作だるいよな〜」とお互い言い合えることが出来て重い感じじゃなかった。「人生、色々あるよね」みたいに良い意味で軽く受け止めていたので、自分はそんなに不幸じゃないんだ思えることが出来ました。

例えは風邪は治るけどまた風邪を引くものだし、パニック障害の発作も治るけどまた発生するよなという感じで考えるようになったら自然と治まってきました。

──個性の一部と捉えられるようになった?

そうなんですよ。強迫性障害に関しても、家の鍵を閉め忘れてたとしても、そんなに泥棒とかいないだろうし、泥棒がいたとしてもそれで命がとられる確率も低い。エアコンの消し忘れとかも、電気代はかかるだろうけど、人生単位で考えたら大したことないと考えられるようになりました。

たまたま学校に同じ強迫性障害の子もいて「まぁ悩まなくてもいんじゃない」というアドバイスをもらったりしていると、次第にもっと学校に行きたいと思えるようになりました。

それまでは家に閉じこもっていたんですが、人と話すことで色んな知識を得られるということに気が付きました。発作が起きたらその時は怖いけど、ずっと発作があるわけではないし、楽観的に生きたらいんだなと思えるようなりました。

──今までは1人で悩んでいて、誰にも気持ちを理解してもらえなかったけど、仲間が出来て色んなアドバイスをもらい、考え方の幅が広がった感じですか?

そうです。もっと学校に行きたい、もっと一緒に遊びたい、もっと勉強に行きたいという気持ちになりました。

──通信制高校に入ったことが大きかったんですね。

そうですね。






同じ経験をしている人たちとの繋がりの大切

自分自身を受け入れてもらえる環境というのが大きな一歩に繋がるということ。また同じ経験をした人と関わるということの大切さがわかります。後編では岡田さんが大学に進学をして、現在の職業に就かれるまでをお伝えします。

<岡田 拓也>
大阪芸術大学卒業。大学時代に制作したアニメが海外で上映。現在はホテルマンとして働きながら趣味で漫画やイラストを描き絵本作家を目指している。

ルネサンス高等学校



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