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不登校は面白い人生の幕開けだ

勉強する意味を見出だせたきっかけは? 【後編】

中村 一郎

家庭にも居場所があったことに気づき、無事に高校・大学にも進学をすることが出来た中村さんですが、新しい場所に移るとつまづくという問題はまだ解消出来ていませんでした。そんな中村さんが変わることが出来たきっかけになった出来事や不登校のきっかけにもなった「勉強をする意味」を見いだせた経緯を後編ではお伝えします。※前編はこちら:エリート家系からの不登校「勉強することの意味」を見つけれたきっかけとは?【前編】

ルネサンス高等学校

──大学に入学してからはどんな感じだった?

大学に進学をしたのですが、今まで女の子と付き合ったことがない中で、初めて彼女が出来ました。

しかし、どうしたら良いのかわからなくて。例えば彼女と次の週にランチをする約束をした時は、地元の友達を集めて、どこのお店に行くか、会議をしたことがあります(笑)彼女とのランチは、大学近くの某ファミレスに行くか、学食に食べに行くかを真剣に悩んで相談しました(笑)

結局、その彼女は緊張して私自身がギクシャクしてしまい、全く上手くいきませんでした。

大学の新歓コンパでも、恋愛の話やシモネタについていけなくて、それがストレスで仕方ありませんでした。他の高校から入学してきた、ちょっと遊び人風な人や、普通の感じの人までも、とにかく誰とも上手くコミュニケーションがとれませんでした。

大学生活をスタートさせて、「これはまずいな」と感じていました。
そんな時、中学校の時に自転車旅行に連れ出してくれ、別の大学に進学をしたHくんから連絡がきました。

「この間、ナンパや合コンに付いて行ったんだけど、とても奥の深い世界だった。ギャル男ばかりで、それまでは野蛮なやつだと思っていたけど、彼らのコミュニケーション能力や、相手を楽しませる力はすごい。」と言われて(笑)

ちょうど私はコミュニケーションがとれないことで悩んでいたので、Hくんのアドバイスから一緒にナンパをしようという流れになりました。女性経験が1人もいないのに、昼間の池袋のサンシャイン通りでナンパを開始しました(笑)

その日、私は最初に声を掛けた人に引かれてしまい、ショックで池袋のど真ん中で激しく落ち込みました。そしたらHくんが、「こんなもん、こんなもん」と励ましてくれて。その日は30組くらい声を掛けたのですが、その後は全てHくんに声を掛けてもらいました。

たしか最後の1組でナンパに成功して。見た目は、私が苦手な派手目の女の子でした。その飲み会の中で、私は無理やり矢理テンションを上げて話すのですが、「無理やりテンションを上げれば、自分はこういう話も出来るんだな」とか、「こういう話をしたら相手が喜ぶのだな」とか、その日はすごく勉強になりました。自分が物凄く成長した気がしたんです(笑)

その日に知り合った人と飲み屋に行き、話をして解散するということが、「この世で実現可能だったのか!」と思いました。都市伝説だと思っていたことが実現出来たんです(笑)

どういう人にどういう話し方をして、自分はどういうテンションでいれば相手を楽しませれるのかというのを学ぶことが出来て、物凄く成長することが出来て、自信がついた気がしました。

声を掛けた子から嫌われてしまうこともありましたが、人によって反応は全く違うということが分かり、相手から否定されても「別にいいや」と思えるようになりました。だんだん、「その人はその人の考えで生きていて、自分は自分で良い」と思えるようになっていきました。

その経験があってから、大学内でも、どんな人とも話せるようになりました。

憧れる人の存在が出来たことで見えた本当に勉強する理由

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──進路に関してはどのように決めた?

大学3年生の時に、自分と同じ大学を卒業後、企業で約10年間務めた後、海外の大学院に留学をし、帰国後は選挙に出馬をされ、当時はシンクタンク系のNPOで勤務されていた非常勤の先生の講義を受講しました。

その先生の講義が素晴らしくて、感銘を受けました。選挙に出馬をした理由について、「世の中を良くしたかった」と真っ直ぐに仰る方でした。その姿を見て、自分もこういう風になりたいなと思いました。

その時に初めて「勉強をする意味」が分かったのです。勉強しないと、自分がなりたい大人になれないと。その先生から、憧れの大人像と、勉強する理由を学びました。

その後、新卒で企業に入社をしたのですが、2年間で辞めてしまいました。今では辞めた決断については反省もしていますが、自分の人生の半分以上の時間を注ぐ「働く」ということについて、本当にこれで良いのだとうかと、当時は本当に悩んでいました。社会人2年目の時に、またHくんが出てきます(笑)

Hくんから、「起業しようと思う」と連絡がありました。「どんなビジネスなの?」と聞くと「世の中にはタレントの卵がいっぱいいる。彼らを動画でアップしていけばすごいPV数になるはず。広告料で絶対にマネタイズ出来る。今のお前の状況が辛いのは分かるし、絶対に一緒にやろうというわけではない。でも、もし今の会社を辞めて路頭に迷うくらいなら、一緒に会社の代表をやろう」と言われました。

Hくんと話をしていくうちに私の中で、「ある世界観」が生まれてきました。動画投稿サイトに社会人の姿をアップして、それを今引きこもっている子たちに届けることが出来るのではないか。

大学の先生を見て思った「こういう社会人になりたいな」という気持ちや、自分自身が不登校だった14歳の頃に、「大人の自分は何をしているのだろう?未来の自分と話したい」とずっと思っていたこともあり、もし、不登校生を経験した社会人が動画サイトに出てくるような仕組みを作ることが出来るのなら、「この事業を死んでもいいからやってみたい!」と思えるようになりました。

動画投稿サイトを、トータル100万以上かけてかけて作ったのですが、ネット上での集客が出来なくて、サーバー代や電車賃でどんどん貯金が消えていってしまい、失敗しました。しかし、不登校というテーマでまだ何かやりたいと思っていました。

動画投稿サイトではやりたかったことが実現出来ませんでしたが、学校の教室では、”近い将来不登校になりうる生徒”が少なからずいるのではないかと思い、起業家の集まり等で、そんな想いを色んな人に話して回りました。その結果、あるNPO法人に出会いました。学校の教室に社会人を連れて来て、子どもたちと社会の接点を持たせるという活動をしているNPO法人でした。最終的には、そのNPOで営業をさせていただけることになりました。

企業協賛金を集めるための営業を行ったのですが、色んな企業に対して、「私は不登校でした。なので、こういう事業は絶対に必要なんです。社員の研修や、企業のブランディングにもなるので、協賛をして下さい!」という営業をして回りました。

営業の中で、自分の不登校という経験をそのまま活かすことが出来たので、初めて「仕事のやりがい」を見出すことが出来ました。私の想いに共感いただき、実際に企業の方々が学校の教室へ来てくださったことは、本当に嬉しかったです。

営業をしていて感じていたのは、私は想いを相手にぶつけて「協力して下さい」と言うことは出来るのですが、「必要ない」「難しい」と言われた後の、2回目以降の提案が出来ないということでした。

それまでは、「自分は何か持っている」とどこかで思っていたところがあったのですが、NPOでの営業を通して、結局のところ私は営業的な提案力もないですし、特別なものは何も持っていないということに気付きました。企業で、もう一度営業を経験し直したいと思い、転職活動を始めました。当時、今勤めている企業出身の方がNPO業界に何人かいらっしゃり、求人を紹介していただきました。

転職活動の中で、どの企業へ就職するか、最終的な意思決定をする際は、とても悩みました。そんな中、父親に自分の進路について相談をしました。すると、「自分が成長出来る方に行くことだけ考えろ」とアドバイスをくれました。

自分が中学生の時「つまらなそうだな」と思っていた父親から、最も重要なアドバイスを貰ったことが、印象的でした。

──最後に現在も悩んでいる子たちに向けて何かメッセージは?

今の会社に入社する直前に、インドに10日間程、旅行へ行ったことがありました。
ガンジス川がある、バラナシという街で旅の時間のほとんどを費やしました。日本語の上手い、同い年のインド人の男の子V君と現地で知り合い、ずっと案内して貰っていました。

ある日、街を道を歩いていると、10代の女の子達が、突然私の周りに集まってきて、私の手の甲に泥で絵を描き始めて、描き終わったら、「お金をちょうだい」と強引にせがまれました。断ろうとしたのですが、かなり強引に迫られました。結局、危険を感じたので、お金は渡しませんでした。

後日、案内人のV君に、「10代の女の子が学校へも行かずに、あんな仕事をしてることに、周囲の大人は何も思わないの?」と聞きました。すると、V君は、「あれが彼女たちの仕事だから、誰もおかしいとは思っていないんだよ。」と答えました。

また、彼からは、「日本人は物乞いにお金をあげるな。たかられるから。でも、俺たちは普通に彼らにお金をあげるんだよ。物乞いすることが、彼らの仕事だから、それで良いんだよ。」と言われました。

私は日本で、「仕事のやりがいってなんだろう?」と思い起業にチャレンジして、失敗して、その後もNPOでの活動を通し、「仕事のやりがい」や「生き方」について考えてきたのですが、インドにはそんな概念すらなかったのです。

案内人のV君はとても親切で、家にも招いてくれました。V君の家には、過去にV君の家に訪れてきた日本人渡航客からの、手紙や日記、写真が数年分溜まっていました。その中にあった、とある女の子が書いた手紙がすごく印象的でした。

「日本に帰ってきてからも、インドのことをよく考えているよ。(案内人の)V君やR君に会うまでは、誰かの人生を羨ましいと思うことがよくあったんだけど、2人と出会って、話をして、ガンジス河の朝日を見て、インドの宗教や神様を知ることで、ありのままの自分の人生を受け入れることができるようになった気がします…。It’s My Life!! 今は、前よりも毎日に感謝して、家族を大切にしています。たくさんのことを教えてくれて、ありがとう。日本から、いつも2人の健康と幸せを願っています。」

仕事のやりがいとか生きがいとか、あった方が良いんですがなくても生きてていいんだな、と思いました。私は「特別な存在になりたい」という気持ちが子供の頃から強くあったのですが、今は特別でなくてもいいから目の前の問題を一つひとつ解決できる人になりたいなと思うようになっています。

長くなりましたが、もし私と同じような悩みを持っている子がいたとしたら「普通でいいんだよ」と伝えたいです。それは不登校だった当時の自分にも言ってあげたいなと思います。






自分の心に正直に向き合っている証

中村さんのお話を伺い記事を書いていると、純文学の小説を読んでいる感覚に陥りました。それは中村さんが、他の人よりとても人間らしく、自分の心に深く素直に率直に向き合って生きているからだと思います。誰よりも自分の心に率直に生きるというということは、色んなことに対して「ちゃんと向き合い悩む」ということだと感じました。それは不登校に対して悩んでいるということも実はものすごく大切なことであり、ちゃんと自分の心に深く向きあえている証拠なのかもしれません。

<中村 一郎(仮名)>
東京6大学の1つを卒業。起業経験やNPOでの営業経験を経て現在の大手人材会社へ就職。

ルネサンス高等学校



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