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エリート家系から不登校になる原因は?【前編】

中村 一郎

今回インタビューさせていただいたのは、大手人材会社で企業の採用支援を行う中村一郎さん(仮名)。外見は長身で爽やかな雰囲気ですが、喋り出すと会話が上手いことから学生時代はクラスの人気者だったのではないかという印象を受けます。
実はそんな中村さんも元不登校生です。前編では、なぜ学校に行かなくなったのかというお話から、再び通いだすことになったきっかけまでを伺いました。

ルネサンス高等学校

──不登校になった時期はいつ?

中1の秋ごろから中3の春ぐらいまでですね。

──きっかけは何?

きっかけは色々あるんですが、中学は私立を受験して入りました。それまで、有名な学習塾に通っていました。

塾では先生に「何で?何で?」と直ぐに質問をするような、聞く癖のある生徒でした。先生を24時まで留まらせる事を何回かしたり、ややこしいことをする生徒でした。そのおかげか、算数賞という賞をもらいました(笑)

塾の先生に「中村の言う『何で?』という疑問は、中学に行ったら先生が教えてくれるから、とりあえず公式を覚えていきなさい」と言われ、期待に胸を膨らませて中学に進学をしました。

中学進学後は、私はクラスの中でもうるさい方で、授業を邪魔する生徒だったので、よく注意をされていました。
ある時、数学の問題について先生に「なんで」を質問した時に「ちょっと黙ってて」と言われました。当時、物凄くカチンときて、違う教科の教科書を開いて抵抗をしました。
そしたら、数学の先生に「授業が嫌だったら来るな!帰れ!」と怒鳴られて、その場で涙ぐみながら1人で帰るような子でした。

そこから徐々に、学校に行く意味や、勉強する理由について考え始めるようになりました。

父親は有名国立大学を卒業して、大手企業に就職をした人だったのですが、毎日遅く帰ってくる姿を見て、当時は「大人って、つまらなそうだな」と思っていました。勉強をして、良い大学に進学して大手企業に就職するというのが、自分のこの先の姿だったとしたら、そうなりたいとは思えませんでした。別に学校へ行かなくてもいんじゃないかな、と思い、中学1年の秋、ある日の朝、学校を休みました。

欠席が1日、2日、3日と増えていくと、だんだん学校へ行きずらくなってしまいました。「そろそろ行かなくては」と思っても、いつの間にか行けなくなっていました。中学2年生次は、ほとんど学校へ行っておらず、部活だけ2〜3週間に1回程度行き、基本的に家では1日8時間ゲームだけをする日々が続きました。

──部活へは行けてた?

部活は行くと歓迎してくれる友達がいたので、行く度に嬉しくはなるんですが、学校には行けなかったです。教室に行くと体が火照ってしまい、行けなくなってしまうんですよね。授業は全然出れなかったです。

──学校の先生や大人に対する抵抗だった?

そうですね、当時はそう思ってました。学校に行きたくなくなったのは、「親が社会人としてつまらなそう」とか「学校の先生が丁寧に勉強を教えてくれなかった」とか、人のせいにしてたなというのはありますね。

社会人になり「自分が何で不登校だったか」を改めて振り返ると、中学に進学するまでは勉強も運動も出来ていたし、優越感があったんですよ。
小学校の時は、運動会の応援団長をやったり、徒競走で優勝したりとか。小学校1年生からマラソン大会でずっと1位だったり、塾に行っていたので、テストはほとんど満点でした。運動も勉強も出来るのを体験していたんです。

それが中学に入ると、マラソンをしたらビリから数えた方が早かったですし、勉強も決してできる方ではありませんでした。女の子と上手く話せないことなんかも、劣等感としてありました。中学生になって、自分の目の前に急に出来た壁を乗り越えることが出来ませんでした。

「承認欲求」と言われるものがすごく強かったのかもしれません。勉強は、やる意味がわからないのでモチベーションが上がらない、運動は当時の身長が154cmくらいだったので、身体能力で勝てないものは勝てない、かといって非行にも走れない。クラスで唯一、特別になれる手段が、不登校でした。

──それだけ承認欲求が強いというのは、小さい頃の何かが影響していたりする?

実は学校に行かないという意味では、幼稚園からその傾向はありました。家庭の引っ越しの事情があり、期の途中から入園した幼稚園に馴染むことができず、「行きたくない」と言って押入れの中に隠れたことがあります。

母親は家の中で私を探すのですが、私は畳の部屋の押入れの中から、親が泣きながら掃除機をかけているのがわかりました。母親に隠れているのが見つかった時に、親が泣いているショックを隠したいために、嘘笑いをしました。

「なんで笑ってるの?」と母親に言われました。親からすると、幼稚園に行かない理由がわからないし、こういう風に育っていって欲しいっていうのがあるじゃないですか。
親としては、子どもが幸せになるための「レール」のようなものがあったのだと思います。

私が、そのレールから外れたことに対して、母親は認められなくて、幼稚園の初期の段階から「なんで幼稚園に行かないの?」というプレッシャーをかけられていた記憶があります。

結局、幼稚園は転園して、別の幼稚園に通い始めました。通い始めても、母親に幼稚園が終わるまで1日中待っていてもらわないと通うことが出来ませんでした。

ある時、先生に「一郎くん、お母さんが急用で帰らなきゃいけないから、もう年長さんだから帰ってもいいよね?」と、私が園庭で遊んでいて、気持ちが高ぶっている時に言われました。一瞬、ドキッとしたのですが、「いいよ!」と答えて、そこから1人でも幼稚園に行けるようになりました。

小学校も1〜2年生の頃は友達と馴染めなくて学校に行きたくなくなり、押し入れに隠れたりしていました。友達に少しちょっかいをかけられただけで、嫌になってしまって、学校へ行きたくなくなり、それを見てまた親が泣いていました。

小学校高学年では、自分が発案した遊びをクラスのみんなが面白いとやりだして、そこから友達と仲良くなりました。小学校高学年は楽しかったのですが、中学1年生でつまずきました。大学もそうだったのですが、最初につまずいてしまうんです。

親によく泣かれていたので、「自分はここにいてもいいのかな?」ということをずっと自分に問いかけていた気がします。

──だから隠れていなくなりたい、身を隠したいという気持ちから押し入れにこもった?

そうかもしれません。中学校に入った時も「自分がここにいていい理由」を自分の中で見つけられなくて。勉強が出来なくても、運動が出来なくても、女の子にモテなくても、学校に行く分には別にいい。普通でいても全然いいのに、特別な存在でいないと駄目な気がしました。

人よりも何か特別なものがないと、その場にいれなくなっちゃうというか、学校に行きづらくなってしまうんですよね。自信を持てなくなるというか…。「普通でいいよ」って言ってくれる人の存在が1人でもいればすごく変わってたと思います。






学校や家庭以外の社会の繋がりと受け入れてくれる人の存在

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──行けるようになったきっかけは?

きっかけは大きく分けると2つあります。1つ目は中学の時、部活のキャプテンでもあったHくんという友達が、学校に行かない私を気にかけてくれていて、「自転車旅行に行かないか?」と誘ってくれました。中学3年生の春だったのですが、2泊3日で千葉県の房総の方まで自転車で行って帰ってくるという旅行でした。

初めて家庭と学校以外の社会に触れました。途中でお店の店員さんや、道を歩く人に道を尋ねると、親切に教えてくれました。その経験だけでも、外の世界と触れられた感じがして、良い経験になりました。

旅の帰り道、途中で友達と道が別れるので、1人で帰ることになるのですが、本当に帰れるか不安な中、無事に家に辿り着くことができました。家に帰ると、母親が「おかえり」と言ってくれました。その言葉を聞いて、自分には今まで居場所はないと思っていましたが、家族という居場所はあったのだなと思うことができました。「おかえり」の一言で涙が出そうになりました。

もう1つはカウンセラーの先生の存在です。当時、色々な精神科に連れ回されていて、薬を処方してもらっていたこともあります。薬を飲んで学校に行ったことがありましたが、私の場合は、学校では眠くなるだけでした(笑)

色んな精神科やカウンセリングに連れて行かれたのですが、気持ちを全然理解してくれない人ばかりだったんです。そんな時、中学校3年生の春頃に、あるNPOのカウンセラーの先生に出逢いました。

その先生だけは、ちゃんと話を聞いてくれました。先生曰く、「僕は不登校の子は才能があると思っている。中村くん、このコップを見た時に何を思い浮かべる?」と質問されました。僕も特別な存在になりたかったので、特別なことを言いたくなっちゃって(笑)

「このコップを見た時に、まず、ベランダから落としたら割れた断面がどうなっているのかを考えちゃいますね」と話を無理やりつくりました。そしたら、「そういうこと!!不登校生は才能があるんだ!!」って先生がおっしゃって(笑)

やりとりをしていて、私と距離を近づけようとしてくれているんだなと感じたので、そこから信頼するようになりました。

当時、高校の進学先を考える時期だったので、色んな学校を見学しに行っていました。とある学校は、教室に金髪の子しかいなくて気が引けてしまいました。もう1校は、酷いいじめの事件があったりしました。

私は、自分が不登校だと認めたくなかったので、いわゆる不登校の子が行くとされている学校に行きたくなくて、同じ中学から一貫の高校に行きたかったのですが、行ける気がしませんでした。

カウンセラーの先生は、カウンセラーをやりながら不登校の子をマラソン選手にし、体育推薦で大学に進学させるということもしていました。

その時に「中村くんはマラソンが得意だと聞いている。もし今のまま高校に進学して駄目だったら、僕がマラソンを教えてやる。もし、一貫校の高校へ行って駄目だったら、僕のところへ来なさい。失敗してもいいから。」と言ってくれました。

その一言で物凄く安堵感が湧き上がってきました。初めて「駄目でも良い、失敗してもいい」と言われたので、恥ずかしいくらいその場で泣きました。

その2つの経験から、徐々に学校へ行くようになりました。絶対に裏切らない存在が出来たというのが、大きかったかもしれないです。

──そこからそのまま中高一貫の高校に進学して大学に行った?

そうですね。中3の時はクラスにHくんがいて。あと、もう1人、クラスに不登校になった子もいました。その子はずっと美術室にこもっていて、後に某有名美術大学に進学して、美術の先生になりました。他にも土日にずっと一緒にいれるような、すごく仲の良い友だちもでき、学校には行けるようになりました。






ありのままを受け入れてくれる人の存在の大切さ

いわゆるエリート家系に生まれて育ち、幼少期から自分の存在意義に不安を抱えてしまい、自己承認欲求が人よりも強くなった中村さん。学校と家庭以外の社会の繋がりや、ありのままを受け入れる人が近くにいることの大切さを考えさせられます。これは子どもだけではなく大人にもいえることではないのでしょうか?後半では学校に復帰したものの、色んな葛藤が続きながらも現在の職業に就かれるまでをお伝えします。

<中村 一郎(仮名)>
東京6大学の1つを卒業。起業経験やNPOでの営業経験を経て現在の大手人材会社へ就職。

ルネサンス高等学校



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