Load

元不登校生から、現代の不登校生へ
伝えたい想いがここにある

不登校生と元不登校生を繋ぐサービス
Clue(クルー)のご紹介

Clueとは?

不登校は面白い人生の幕開けだ

月間100万PV「365がぁる」を生み出すまで【後編】

365がぁるShinnoji

1曲の名曲と1人のギタリストに奮い立たされ、大きな一歩を進めた佐藤さん。そんな佐藤さんですが、起ち上げから僅か3ヶ月で月間アクセス100万PVを超えた「日本一振り切った恋愛メディア 365がぁる」の編集長になるまでの快進撃と、それに至るまでの苦難の道のりを後半ではお伝えします。
※前編はこちら : 100万PV「365がぁる」を生み出したメディアのプロも不登校生【前編】

ルネサンス高等学校

──アルバイトを初めてされたのは何歳の時?

16歳くらいですね。業務スーパーで半年間、働き続けました。

──そのまま何個かアルバイトを? いつWEBの分野のお仕事に?

もう業務スーパーを辞めて次ですね。日記サイトをずっと続けていたんでWEB業界で働きたいっていうのがあり、その頃にはWEB系の雑誌を読み漁るようになっていました。
何社か面接を受けて、アルバイトで採用されました。当時、親には何も言ってなかったので、受かった時に「明日から働く」という話をしてたら、親はポカーンという表情をしていました(笑)

──初めてのWEB業界では何年くらい働いた?

18歳から6年間働きました。その会社は30人くらいいたんですが、当時のいわゆるブラック企業でした。
入社当時は一番成績が悪く、自分の給料分ですら売上をあげることが出来ず、文字通りボロカスに言われてたんですが、直属の上司が優しい方で「一緒に頑張ろうな」と言っていただいたので、今があります。

18歳で右も左もわからなかったこの時、僕は人と喋れなかったんですよ。その時も抗不安薬を飲みながら働いていたのですが、そのことを上司がポジティブに捉えてくれて「こいつは薬を飲みながらもこんだけ頑張っているから教えてやってくれ」と。

そこで諦めていたら、僕は今はここにいないと思います。

半年間くらい、一向に成績が上がらず「技術も先輩から盗め」と、座る席もたらい回しにされていたのですが、良い先輩に当たって「何でお前こんなに技術があるのに成果が出ないんだ?」と言われ「ここをこうするだけで良いじゃないか」とポンとアドバイスをいただきました。そのアドバイスを実践したら、成果が一気に上がり、自分の月間の売上が見事1位になりました。

そして先程言った、直属だった上司が管理職から社長に上がり、組織編成を見直すことになりました。
当時19歳だった僕に「管理者をやってみないか」という話が出ました。「福利厚生も何もない会社だけど、経験だけは積ませてあげたい。給与にはしっかり反映するから、業務命令として受け取ってくれ」と言われ、3人いた管理職の一角に昇進しました。

19歳のガキが30歳過ぎた人に「全然成果あがってないじゃないですか、えぇ加減にしてくださいよ」と言ったり、たまらなかったですね。

ただ、この会社では本当に色んなビジネスのことを教えてもらったんで、当時の社長(元直属の上司)にはすごく感謝していています。その方が社長になられたのが27歳だったんですが、僕が去年27歳になったんで、現在の自分を見てもらおうと思って挨拶にいきました。

本当にお世話になったので今でも1年に1回は挨拶に行っています。

──高校は2日で辞めたのに、パッと社会へ出てキツい仕事を6年間も続けられたのは何故?

「大事MANブラザーズバンド」じゃないですけど(笑)「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと」を徹底していました。継続ですね。どれだけ下手くそでも「辞めない」というのを大事にしています。最初はみんな下手なのは当たり前じゃないですか?

「やるしかないんだから、辞めない」ということです。

──そこまでWEBにのめり込めた魅力は?

これはですね、魅力じゃなくて「逃げ」なんですけど(笑)
いわゆる外回りの営業職というか、スーツを着るのがダメで。で、当時は喋れなかったもんだから、人と関わる仕事は絶対に無理だと思っていたんで、パソコンで仕事がしたいと思うようになりました。

本当にスーツを着る仕事が大嫌いなんですよ。そんな感じで働いていたら、今ではスーツは着てないけど、大体会社の窓口(電話対応)は全部自分みたいな(笑)

──逃げも極めるとそこまで行ける?

いかに人と対面することなく仕事が出来るかということに命がけだったんで。逃げ切ったら一瞬で終わって窓口になってました(笑)






月間の売上1位、19歳にして管理職、しかしその先に続く険しい道とは?

365がぁるShinnoji

──そこからはもう今の会社に?

いや、その会社で6年間働いたんですが事務所が何度か移転しているんですよ。最初は心斎橋のアメリカ村だったんですが、次に大阪の日本橋に移転しました。

日本橋に移転した時に、実家から通うのが遠かったので一人暮らしを始めました。社長と物件を内覧して(笑)「ここすごいええやん!」っておっしゃって、現在の自宅に引っ越したんですが、2〜3ヶ月後に「真……すまん……また事務所移転するわ」って言われて「え、場所どこですか?」と聞いたら「中津」と言われて「真逆じゃないッスか!」と笑っていました(笑)

ですがこの中津時代が一番キツくて、また組織編成が変わりました。ここで、お世話になった社長が代わることになりまして、僕の部下も両手では収まらないほど増えた時期もありました。

その頃、やっとWEB界隈に「SEO」って言葉が出てきたんですけど「SEO」の部署とWEB制作の部署があって、僕は21~22歳だったと思うんですが、そこでWEB制作部の部長として仕事をしていました。

その時に過労で倒れてしまい、意識不明の状態になりました。それでも仕事が溜まっているんで、僕が復帰しないと部下が動けないので無理やり復帰して、指示を出したりしていました。今思うと若さゆえでオーバーワークという言葉を知らなかったんですね。

そしたら、やっと来た休日に窓から外をぼーっと見ていたんですが、夜だから「あー暗いな」と思ってたんですが、ぱっと瞬きをしたらいきなり朝になってたんですよ。「あ、コイツは流石にヤバいな」と思い会社に「すみません。夜が朝になったんで病院に行ってから出社して良いですか」と電話をしました。

それで近くの心療内科に行ってみたら「重度の鬱病だ」と診断をされ、馬鹿みたいな数の薬が載った処方箋を処方されました。今はだいぶ良くなったんですが、今も不眠症は残ってます。病気と診断されてからも働いてたんですが、また倒れたんですよね。2回目に倒れた時、会社が親とも話して退職ってことになったんですが、実は僕はこの時のこと知らないんです。

何故かと言うと、入院していたんです(笑)気付いたら会社を辞めていて、それが24歳くらいの時です。
その後、病院の先生に「休息時間をとった方が良い」と言われていたものの、社会人とはなんたるもんかを以前の職場で味わっていたので24歳から転職しようと心機一転、就活を始めました。

ですが、ちょうどその時期に、愛犬がコロっと亡くなってしまいました。不登校生時代も唯一の兄弟のような存在だったので、僕もすごく悲しくて泣いたりしていたんですが、親の方がヤバくなってしまって。

親まで一緒に自殺してしまうんじゃないかという雰囲気の中、家族で落ち込んでしまいました。
愛犬の死を通じて命の尊さを学んで、真っ先に、現在の日本の犬猫の殺処分に関する本をたくさん読み、この国の動物愛護の現状を知ったのが重なり「何か出来ないかな?」と思い、大阪にある動物愛護団体のサイトを眺めていました。

そこで偶然、職員を応募してたNPOの動物愛護団体があり、応募したら受かっちゃったんですよ。WEBの才能を買われてみたいな感じなんですが。
今はもう無くなってしまったと思うんですが、就職した動物愛護団体のサイトを作り直したら「動物愛護団体」で検索すると当時3位にいました(笑)

ただ「WEBで食べていこう」という気持ちは変わらなかったので、動物愛護団体で働くのは半年間、と自分の中で決めていてました。その職場では飼育以外に事務作業を覚えることが出来ました。動物愛護団体って本当に色んな相談がくるので、電話対応とかにアドリブが効くようになったのはこの辺りですね。

その後、現在の会社に入社しました。前の会社がブラック企業だったので、ちゃんとした企業で腰を据えて働きたいと考えていました。
自分をちゃんと評価をしてくれる会社に入りたいと思い、最初は「正社員じゃなくてアルバイトから入れてもらえませんか?」とこちらからお願いをしました。

その後、現在自分が編集長として運営させていただいている「365がぁる」をアルバイト時代に作り、周りの同僚にも認めてもらった上で1年前後で社員に昇格させていただきました。






3ヶ月で100万PVを1人で生み出す

365がぁるShinnoji

──恋愛メディア「365がぁる」を制作された経緯は?

会社の中で僕が「SEOの知識がある」という噂が何故か広まり、当時の部長に食事に誘われました。「他に誰か来るんですか?」って聞いたら「社長」と言われ(笑)

「何で社長と部長とアルバイトで食事に行かなきゃいけないんだ」と思っていたら、無茶苦茶高そうなフランス料理みたいなところに連れて行かれて、こんな自分が行くのもおこがましいなと思ったんですが(笑)

その場で「女性向けのWEBメディアを作ってくれないか?」と言う話になりまして、僕なりに考えていたSEOと以前の会社の6年で培った技術で365がぁるを起ち上げたら、3ヶ月で100万PVを突破しました。まだこんなメディア戦国時代に突入する本当に一歩手前だったので運が良かったのもありますね。

そこで現在もお世話になっている広告代理店さんとか色んなところから声を掛けてもらい、マネタイズにも成功し、現在に至るという感じです。

──不登校を経験したからこそ得たものはある?

あります。例えばビジネスでのお付き合いだとか、打ち合わせや営業など、仕事のことは今の同年代の子たちより働き出したのが速い分はアドバンテージがあると思っています。この歳で10年目ですからね(笑)

そういう意味では良いですが、その代わり死ぬほど頑張らないといけないというのはあります。今は大企業を除いてだいぶ学歴重視じゃなく、実力主義、成果重視になってきたじゃないですか。自分に実力さえあれば、年齢や学歴に関係なく、以前より大きな裁量で仕事が出来る時代になってきていると思います。

僕がWEBの世界に飛び込んだ時はブログを始め、FacebookとかTwitterもinstagramもなかったですけど、今はそういう自分で情報発信をしていける場所がある。さらに僕の知らないところで今も色んな可能性が広がっているでしょうし、僕が不登校だった時代にそういうものがあったら誰かに相談出来ていたんだろうなって思いますね。

今の不登校の子たちの参考になるかはわからないんですが、僕は学歴が皆無に等しいですが、今のところ生きて行けています。学歴が無ければ「それにとって変わる何か」を自分の中で見つけて欲しいです。

別にそれは音楽でも良いし、精一杯やったなら、例え失敗しても経験値になります。引きこもっていても、そういう風にポジティブに捉えてくれたらなと思いますね。「僕らの世代はまだスマートフォンなんて存在しなかったんだよ?」みたいな(笑)






学歴がなくても関係ない

高校へ進学して普通の道を歩んで欲しいというと願う親御様も多いと思います。レールから外れるということは、本人にとってもストレスだと思いますが、何かを生み出せる人はそこはあまり関係なく「自分の突き進む道」を真っ直ぐ突き進める人なのかもしれません。

<佐藤 真(Shinnoji)>
中学校1年生で周りの反感を買い不登校児に。長い引きこもり生活の中で見出したアーティストの音楽に感動し行動を始めた。現在はWEB上ではShinnoji(真の字)と名乗り、不登校時代に培ったスキルを活かし、大阪のIT企業で複数のWEBメディアを統括している。

ルネサンス高等学校



不登校生と元不登校生を繋ぐサービス
Clue(クルー)のご紹介

不登校生と元不登校生を繋ぐサービス Clueのご紹介
不登校生の一番の理解者は、元不登校生です
私たちも味わったその経験を、現在の不登校生にお話します。

Clueとは?