Load

元不登校生から、現代の不登校生へ
伝えたい想いがここにある

不登校生と元不登校生を繋ぐサービス
Clue(クルー)のご紹介

Clueとは?

不登校は面白い人生の幕開けだ

音楽から引きこもり脱出 曲一つで人生は変えれる【前編】

365がぁるShinnoji

今回インタビューさせていただいたのは、この元不登校生インタビューメディアサイト「Load」を突貫工事で構築してくださり、恋愛メディア「365がぁる」の生みの親で編集長であるShinnojiさんこと佐藤真さん。佐藤さんは1人で365がぁるを構築し、マネタイズまでしてしまった事で現在、メディア界隈では有名な方です。ですが、実はそんな佐藤さんも元不登校生。前編では佐藤さんを大きく奮い立たせたきっかけまでをお伝えします。

ルネサンス高等学校

──不登校になった時期は?

中1の夏休み終わりぐらいですね。

──不登校になったきっかけは?

元々、小学校1年生からサッカーを6年やっていたんですが、中学でもサッカー部に入ったんです。そのサッカー部が、いわゆるスパルタだったんですが、その代わり強豪だったんですよ。

それで(サッカー部が)あまりに厳しいっていうのが広まりすぎて、僕らの代が11人しか入らなかったくらい。サッカーって11人いなきゃできないんですよ。ド素人でも、全員レギュラーになれる状態だったんです(笑)

で、サッカーをの背番号は10番が栄誉ある番号なんですけど、僕が10番だったんです。ただ部活の内容はとにかく聞いてたとおり厳しくて、ボールを触る時間より走っている時間の方が長いみたいな。

ある日、練習で怒られて全員グラウンドを走らされた日があって、その時の僕はレギュラーではない3年生とか2年生を抜いちゃってたんです。それで顧問の先生が、時間が経ったら走るのが速い順にミニゲームに放り込む感じで。その時、僕はなぜか解らないんですけど2年生で一番上手い人に死ぬ気で食らいついてたんです。

で、その2年生の先輩もミニゲームに放り込まれて、その次に唯一1年でミニゲームに参加しました。もちろん他の部員は集められて顧問が「1年坊主に抜かれて、どういうこっちゃ!」と先輩方を含め、僕より脚が遅かった人が怒られてしまい反感を買ってしまいました。その時、同じ1年生の子から首を絞められてしまいまして……。

──首を絞められるというのは具体的には?

よく映画などである、胸ぐらを捕まえられるとかではなく、本当に首を絞められました。横にいた子が止めには入ってくれたんですが、その止め方が無茶苦茶面白くて「その首の締め方は卑怯だよ」と。締めるのはいいのかよみたいな(笑)

部活に出ても反感を買うだけだし、学力もなく、数学とか「何でマイナスとマイナスを足すとプラスになるんだ」という状態で、だんだん学校に行きたくなくなりました。
ちょうどその時、当時のADSLが開通のタイミングと重なり、オンラインゲームにどっぷりハマって晴れて不登校生になってしまいました。

──中学校まるまる3年間行かなかった?

中学校1年生の冬にカウンセリングを受けるため親に連れ出されました。カウンセリングといっても、週に1回1時間程度、お姉さんと喋ったり、ゲームをしたり、トランプしたり。その間、親は隣の部屋で相談しているみたいな感じでした。

中学校2年生から学校区にある施設(適応教室)に通い出しました。
教室が2つに分かれて、1つは勉強する部屋で、その隣の部屋には卓球台がありました。そこで卓球が上手い子に習っていたら、今ではサッカーより卓球が上手くなって、温泉とかではまぁ、まず負けないレベルまで上達しました(笑)

そんな感じでその施設で午前中は勉強をして、午後はレクリエーションに参加していました。バレーボールとか、後は得意なサッカーや、おにごっこをやったりだとか、古典的な遊びをしていましたね。中学校2年生はそんな感じで中学校3年生で半分強制ですが市内の違う学校へ転校したんです。

やっぱり無理やり転校させられちゃってあまり馴染めませんでした。体育が得意だったんですが、体育の中で唯一苦手なのが水泳でした。クロールをしても、漕ぐ面積が少なくて進まないんですよ(※)それで、そこでもいじめが始まっちゃって。

※佐藤さんは当時体重が42キロしかなく、華奢だった為、速く泳ぐのが苦手だったそうです。

──水泳から?

水泳からってわけでもないんですが、一番印象的なのが水泳でリレーをしている時に、自分の番になると全員が「死ね、死ね、死ね」とコールがかかった。先生も人数が多くて止められないみたいな。

中学校3年生はそんな感じだったので、1?2ヶ月で行かなくなってしまいました。3ヶ月目くらいから家にずっと引きこもって、またオンラインゲームをやっていました。

──適応教室の時は結構行けてた?

適応教室は行けていましたね。

──転校しない方が良かった?

その学校は、僕ともう1人、同じ適応教室に通っていた子と転校させられたんですけど、その子は上手く馴染めるクラスに行ったんですが、僕の方は危なっかしげな人が多いクラスだったんで。

中学校3年生で1つだけ良いことがあったのは、身長が152cmくらいだったのが一気に175cmくらいに伸びたことです(笑)

学校に行かなくなって、外にも出なくなって半年くらいした時に、適応教室の時の友達から自宅に電話が掛かって来たんですよ。その電話に出た瞬間に、自分の声が変わりすぎてて相手が「誰?」みたいな感じになって。

「俺、声低いの?」「超低いよ(笑)」みたいな。当時、中学1年生とか2年生の時は、音楽で言ったらソプラノだったんで、それが急にコントラバスになった感じですかね(笑)2年間ぐらい誰ともしゃべらず、犬としか戯れてなかったんで、声変わりに自分でも気づかなかったんです。

──両親は当時どのような対応を?

当時は世間体が大事だって感じでしたね。正にヒステリックの典型でした。本当に学校に行くのが嫌だったんですが、行くフリをして学ランを着てクローゼットに隠れてて、結局見つかってボコられた記憶があります。

──悩みを相談する人はいた?

中学の時はそのカウンセラーの先生だったんですけど、カウンセラーの先生は無理してそれを聞くというより、一緒に遊ぶみたいな感じだったんで、あまり何も言わなかったんですよ。それで勝手に適応教室に行くのが決まって、そこで同じような境遇の子がいるんだな、くらいしか今振り返ると解ってませんでした。

──相談できるカウンセラーの人と会った時にもっと話を聞きたいなとか話をしたいなとかはあった?

当時はそれどころではなく、週に1回でも外に出ることの方が苦痛でしたね。ルート的に同級生がすれ違う可能性があったので、顔が見えなくなるくらいまで服で隠してカウンセリングに行っていました。

実際、1回同級生すれ違ったことがあり、その時は比喩ではなく本当に体中から冷や汗が出ました。すれ違ってしまえばどうってことないんですが、とにかく苦痛でしたね。でもカウンセラーの先生に実際に会ったらほっとしてましたね。

──完全に学校に行かなくなるまでに誰かに相談しようとかは思わなかった?

思わなかったですし、記憶が薄れているんですが、行きたくないって言ってないんですよ。行動で行こうとしたくて、完全に身体が拒絶してましたね。

──中学校時代からHTMLとかCSSをやっていた?

いえ、オンラインゲームにどっぷりハマっていた時期に、オンラインゲームの日記サイトって言うのが流行ってたんです。HTMLでファイルをつくってリンクしてという、超古典的なサイトで、ゲームでの出来事を面白おかしく書くみたいなサイトが流行ったんです。今で言う「実況」とかに近いのかな? それで僕もやりたいなと思ったんです。

当時はまだブログというものが出てきてなかったですし、ネットでの検索機能はあったんですが、ググっても欲しい情報が出てこなかったんです。なので、本屋にHTMLとCSSの分厚い本を買い行き、自分で1ページ1ページを手打ちで確認し地味に覚えていきました。

──高校には進学した?

はい、進学しました。神戸の高校に進学したんですが、中3も全然学校に行ってなかったんで、学力がついてるわけでもなく、高校のシステムもわかってなかったんです。

単位のこととか、親から何も聞いてなくて、説明がないぞと思いながら、わけのわからない人がいっぱいいて、ここはダメだなと思って2日しか行った記憶がないです。中退になったのか退学扱いになったのかすら実は知らされてないんです(笑)






心を揺さぶられるものに出逢うこと

365がぁるShinnoji

──その後は何をしていた?

その後は……音楽ですね。バンドのサポートをしていたんですが、洋楽のアーティストで「Ozzy Osbourne(オジー・オズボーン)」というアーティストがいるんですが、代表曲の「Mr.Crowley」という曲を初めて聞いた時に、ギターソロに感動して涙がボロボロ流れたのが音楽に目覚めたきっかけです。

その時に「この人みたいになりたい」っていうのと「このままじゃ自分は駄目だ」と思って次の日にギターを買いました。

最初は「GREEN DAY(グリーン・デイ)」の「American Idiot」とか、ギタリストにはお決まりですが「Nirvana(ニルヴァーナ)」の「Smells~」から初めて、昼はギターを8時間弾いて夜はネトゲ、という生活をしていました。

──何故このままじゃ駄目だと思った?

先ほどの「Ozzy Osbourne(オジー・オズボーン)」のギターソロを弾いている人が、当時、天才ギタリストと言われていたんです。音楽系の雑誌なら、時期になると今でも表紙になるくらいのギタリストで、この人がいなかったら、今活躍しているどれだけのギタリストがいないんだっていうくらいの人ですね。

その人のプロの活動期間が5年間くらいしかないんです。アルバムを2枚しか出していなくて「なんで?」って思うじゃないですか。実は20代で亡くなっていて、飛行機で次のライブハウスまで行こうとしたら墜落してしまうという事故死だったんです。

その影響と、同級生は進学して学校に行っているし、働けるようなところがあったら働かないとな、と思ってアルバイトをすることにしました。

──それは自分に照らし合わせた感じがあった?

そうですね、やっぱり「人間って死ぬんだな」と思いましたし、それは今でも思ってます。一昨年、難病になったというのもあるので「死ぬんだったら後悔しないで死にたいな」と思って。じゃあギターを弾きたいなと思い、話が逆転しましたが、外に出るきっかけがギターで、音楽をやるようになりました。

人は音楽1つでも全然変われます。僕は「Ozzy Osbourne(オジー・オズボーン)」の「Mr Crowley」に出会うまで、ずっと引きこもりでした。外に出るきっかけをくれたギタリストは、僕が外に出た時にはもうこの世には居なかったんですよ。






1曲の名曲で人生が変わる

1曲の名曲で考え方を変えることが出来た佐藤さん。現在は大阪のIT企業でWEBメディアを統括し、表には出ないSEOのスペシャリストとも言われていますが、その後、どのような道のりを歩んで今に至ったのでしょうか? まだまだ序章。働き出してからの苦難の道、そして快進撃を後編ではお伝えします。

<佐藤 真(Shinnoji)>
中学校1年生で周りの反感を買い不登校児に。長い引きこもり生活の中で見出したアーティストの音楽に感動し行動を始めた。現在はWEB上ではShinnoji(真の字)と名乗り、不登校時代に培ったスキルを活かし、大阪のIT企業で複数のWEBメディアを統括している。

ルネサンス高等学校



不登校生と元不登校生を繋ぐサービス
Clue(クルー)のご紹介

不登校生と元不登校生を繋ぐサービス Clueのご紹介
不登校生の一番の理解者は、元不登校生です
私たちも味わったその経験を、現在の不登校生にお話します。

Clueとは?