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不登校は面白い人生の幕開けだ

1人の勇気が不登校を救う ゼロじゃない強さ【後編】

KIRI

幼少期は複雑な親子関係で悩み、中学校時代は3度の不登校を経験したKIRIさん。後編では高校に進学をした後、藻掻きながら夢を叶えるまでをお伝えします。※中編はこちら :3度の不登校 中学生の女の子独特の陰湿ないじめ【中編】※前編はこちら :虐待されている子は自分を責めてしまう【前編】

ルネサンス高等学校

高校に入ってからは現在の仕事に繋がるダンスを続けた?

小学校の時に、親が事故をしてちょっと寝たきりになった時があったんですが、知り合いの紹介で整体に通っていたんです。

もう無理だと言われていた体が治っていって、私と妹も整体に連れて行かれるようになったんですよね。

私は3歳の時からモダンダンスをしていたので、骨が柔らかい時期に飛んだり跳ねたりしていたので、体がボロボロだということがわかり、私も家族ぐるみで治療に行くようになりました。

体を治すためにも、一旦小学校卒業と同時にダンスを辞めていました。

なので、中学校3年間はダンスをしていなかったんですが、高校に上がる時にやっぱりダンスがやりたいとお願いをしました。

まだ完全に治りきってはなかったけど、壊しつつ治しつつやっていけばいいかという話になり部活でダンスを始めたんです。

家から近い学校だったので、子どもの時にその学校のダンス部は憧れの存在でした。

そこに入れたのが、すごく嬉しくて、高校1年生の頃は部活命みたいな感じだったんですよね。

私がいたクラスは、高校から進学してきた一般クラスの子達よりも授業数がちょっと多いクラスでした。

一般クラスよりも最後の1クラス多かったので、部活に参加できるのが遅くなってしまうことが最初はすごく嫌でした。

目的がないと行動が出来ないタイプなので、勉強もやる意味を自分の中で見つけられないと、全然やる気が起きなくて…。

勉強よりも部活に励んだ?

2年生になったら一般クラスにクラス替えをして、部活を一生懸命やりたいと周りにずっと言ってたんですが、高校1年生の後半に自分の中で大学に行きたいという気持ちが強くなりました。

漠然としていた将来の夢が自分の中で具体的になってきました。

父親が教師だったことと、人に何かを教えて喜ばれることが多くて、自分でもそれが嬉しかったので教師になりたいと思いました。

不登校経験もしているので同じような子供達を守りたいという気持ちもありました。

やるならとことんやりたい性格なので、せっかく受験をするなら東京の4大に入りたいという思いが強くなりました。

ダンスをやりたいという気持ちから、勉強をして自分の行きたい大学に入りたいという目的に変わりました。

「状況が変われば、考え方も気持ちも変わるというのは当たり前」という考えだったんですが、周りの友達からしたら私の気変わりが理解出来なかったんだと思います。

同じ部活で同じクラス数の子が1人だけいたんですが、この子なら毎日同じクラスで勉強をしているので、私の気持ちや状況をわかってくれると思っていました。

でも、その子は他のダンス部の子達の側についてしまい、私の考えが変わったことに対して話す機会すら貰えなく、完全に周りから孤立しちゃったんですよね。

わかってくれるだろうと思っていた子から、話も聞いてもらえなかったのがショックで、ちょっと人間不信をぶり返しかけました。

孤立とは具体的にどんな感じ?

その子はクラスでも同じグループだったんですが無視されるようになり一緒にいてくれなくなりました。

グループが4人だったんですが、その子以外のメンバーは、不穏な空気を感じ取りながらも、その子に従うしかないという状況で、私が孤立してしまいました。

ただ、中学校時代の経験があるので、その頃にはちょっと強くなっていました。自分は自分でいればいいやと思えるようになっていました。

辛くなかったわけではないですが、その時は自分の目的があったので、ここで負けたくない思っていました。






孤立したまま高校生活を送った?

ある日、移動教室があり、映像を見るから分かれて座ってと先生に言われました。

孤立をしていたので、1人で離れて座ったんですが、先生がすごく気にしてくれて、触れて良いのかどう接すればいいのかわからない感じが伝わってきました。

「先生気にしなくていいよ」と思ってはいたんですが、強がってる部分もあったんで、それが堪えないわけではなかった。

すると、1人の子が突然私のところに来て何も言わずに隣に座ったんです。

その子はその瞬間から私の中でヒーローになりました。

その行動がかっこよすぎて、そのことは一生忘れないと思いました。

当時、その子は違うグループだったんですが、グループとは関係なく仲良くしてくれていて、完全に1人ではなかったんです。

中学校時代には、完全に1人だった時もあったので、ゼロじゃない強さをそこで知ることが出来ました。

1人でも自分をわかってくれる人がいる、1人でも自分の味方になってくれる人がいる。ゼロか一かの違いってすごく大きいということを実感しました。

その子のお陰で高校1年生の時に不登校にならずにすんだと言ってもいいと思います。

中学校時代よりは強くなっていたけど、やっぱり不登校になるスレスレだったとは思うので。

その流れで高校2年生は不登校にならなかった?

はい、高校2年生に上がったらだんだんみんなも今より大人になってきました。

はっきりと何かがあって仲直りしたわけではないんですが、普通に接するようになっていました。

高校2年生の初めは教育学部志望だったんですが、途中で法学部志望に変えることにしました。

その理由として、教師になりたい気持ちはあったんですが、当時、モンスターペアレントが社会問題になり始めていました。

教え子のことで苦労する分にはいくらでも引き受けるけど、親で苦労するのかと思うとちょっと違うかなと思うようになりました。

自分の適性診断などやることがあり、真っさらな気持ちでやりたいことを考えた時、より弱い立場の人を守れるようになりたいと思いました。

その中で、小さい頃からの責任感・正義感の強さを活かせる職業として弁護士という選択肢が見えてきました。

親からも性格的に向いているんじゃないと言われたのもあり、進路を変えて、より勉強するようになりました。

目的が見つかったので勉強するのが楽しかったし充実していたと思いますね。

高校3年生もトラブルなく学校生活を過ごせた?

高校3年生の時は、教師とちょっとしたトラブルがありました。

私の余計な行動だったんですが、みんなのために良かれと思って、授業のことか何かで先生に考慮してくれと交渉しに行ったんです。

その流れで、教師と売り言葉に買い言葉みないな軽い口論になってしまいました。

「本当にみんな疲れ切っていて死にそうなんで」みたいなことを先生に言ったんですが、先生から「死ねるもんなら死んでみろ」と言われました。

売り言葉に買い言葉で、私が先生から引き出した言葉だし、先生は私の過去をしらないので、自業自得だったとは思っています。

でも、その言葉が昔の自分の心にストーンと入ってしまったんですよね。

毎日死を考えていた人間にとって「死ねるもんなら死んでみろ」と言われたことが、ものすごく刺さってしまいました。

気付いたらそのまま家に帰り、リストカットをしてしまいました。

今までそういうことがあった?

いえ、突然でしたね。中学校の不登校時代にちょっと切ってしまったりすることはありました。

ただ、中学校の頃は家で鬱になって1人で切っていました。

でも、その時は初めて人から何かを言われ「じゃあ死んでやる」という勢いで切りました。

どう考えても冷静な行動ではなかったんですが、結局、そのまま学校に行けなくなっちゃったんですよね。

その時、家で1人になり1ヶ月くらい色々と考える時間を持つことが出来ました。

何事もなく順調に進んでいた時でも、自分の進路に関して迷っていた部分がありました。

勉強は楽しかったし、やる気はあったんですが、これで良いのかなと思っているところもありました。

普通の人はそこまで考えないと思うんですが、大学も名前だけで選んでないかとか、学校一つ選ぶにしても自分の中で明確な強い理由がないとダメだったんですよね。

そんなことを考えていた時、私を助けてくれた1番の友達が「踊ってる時のキリが1番キラキラしてる」という何気なく言った一言が頭に浮かんできました。

住んでいたところが田舎だったのもあり、プロのダンサーになるというのは別世界の話。幼稚園の頃にダンスの先生になりたいという気持ちはありましたが、中学・高校では将来の夢として具体的に考えることが出来ませんでした。

でも、その言葉が1ヶ月間ずっと頭から離れなかった。

日常の中で発した言葉だったんですが、だからこそ、それってすごく素直な一言じゃないですか?

一度ダンスの世界に入りたいと思うとその気持がどんどん大きくなりました。

弁護士になりたいのも、自分の本当の気持ちだったんで迷ったんですが、大学選びの時点で自問自答をしていたし、本当に行きたかったら自分で学費を稼いでも大学に行き国家試験を受けるなと思ったんです。

ダンスを思いっきり挑戦して、悔いがないというくらいやれば、ダメでも自分の中で諦めが尽く。

そうなった時に、また次にやりたいことをやればいいと自分の中で固まりました。

母との関係性は、年齢と共に良くなっていき、高校に進学した頃には普通に話せるようにになり、その頃には対等に話せるようになっていました。

ただ、成績もやる気がなかった頃とは雲泥の差で、先生からも期待はされていたし、親にもここまで支えてもらったのに、今更ダンスをやりたいと言い出すことに対して散々考えました。

私が話がある旨を母に持ちかけたらドライブに誘ってくれました。ドライブに出かけたものの、切り出すのには本当に勇気が入りました。

意を決して、「ダンスがやりたい」ということを母に打ち明けました。

すると、母から意外な言葉が返ってきました。

「いつ言ってくるのかなと思ってたよ」と言われたんです。

この時、「母親ってすごいな」と思いました。

そして母からは、「自分の好きなことを思いっきりやりなさい」という言葉が返ってきました。

母親との関係性がそこまで良くなったきっかけは?

だいぶ長い年月が掛かったということもありますが、小学生の時に私が母に「お母さんには友達のいない辛さはわからない」と言ったそうです。

母は勉強もスポーツも1番で、目立つ子供だったというのを知っていたからこその訴えでした。

その時に母から「確かに友達がいない辛さはわからないかもしれないけど、”お母さんにわかってもらえない辛さ”ならわかる」と言われました。

そこで、母も親子間の問題があったことを打ち明けられ、それがきっかけで少しずつ歩み寄りが始まったようです。

それからも、お互い大号泣しながら話すことも沢山あったんですが、大事なのは、私も母も”お互い諦めなかった”ことかと思います。

その後はダンスの道に進んだ?

はい、進路を180度変えダンスをやることに決めました。

ダンスの中でも、更に自分のやりたい夢があったので、それを叶えるためにどうしたらいいかを色々調べました。

今まで選択肢になかった専門学校のオープンキャンパスに行きそのままその学校への入学が決まりました。

そうなったら、進学校で大学受験のテクニックを一日習っている必要がなくなったので時間の使い方を変えたほうが良いなと思いました。

夢に向かって有意義な時間を過ごすために通信制高校という新しい選択肢が出てきました。

その頃には、母は私が小さい時に始めた勉強が仕事になっていました。今では母は臨床心理士になっています。

母が診ていた子供達も通信制高校に通っている子がいたりしたので転校することに決めました。

専門学校に行った後はプロのダンサーを目指した?

そうですね、専門学校に通ってニューヨークに海外留学もさせてもらいました。ニューヨークでは国際的な感覚に触れることが出来て、それが大きな影響になってます。

みんな小さいことを気にしないというか、オープンな感じだったので、すごく楽しかったですね。

福岡の専門学校に通ったんですが、卒業してすぐ東京に上京をしました。

ダンスの中でも夢であった、とあるオーディションをずっと受けながら、レッスンとバイトの日々を送りました。

次第にスキルアップしていくと色んなところから声を掛けてもらえるようになっていきました。

イベントや舞台に出させてもらったりだとか、アーティストのバックダンサーだったりをちょっとずつ経験していきました。

そして、5年経つ時に受け続けたオーディションにようやく合格することが出来ました。

25歳になる時に「絶対に25歳になるまでに夢を叶える」と自分に言い聞かせようやく叶えることが出来ました。

これまで好きにやらせてくれた両親や祖父母への恩も一応返すことが出来ました。

厳しい家庭ではありましたが、芸術に触れる機会は沢山作ってくれていて、家族みんなで出かけるというと音楽や美術、舞台等を観に連れて行ってくれた印象が強いんです。

その中でも子供の頃にとても感動した想い出があって、私にとっては家族との大切な想い出でもあったので、それが強く自分の中に残っていました。

ダンスを通して人にこんな希望や勇気、笑顔を与えることができるんだと知り、子供心ながらにこっち側(観ている側)じゃなく向こう側へ行きたいという衝動に駆られたんです。

こういう気持ちを与えられる側の人間になりたい」と思ったことも進路を考える大きなきっかけになりました。

今後はどのような活動を?

上京して直ぐ不登校関係のイベントに顔を出すくらい、不登校に苦しむ人達の力になりたいという気持ちがありました。

ただ、昔から親に「10年は自分のことをがむしゃらにやりなさい」と言われていたことや、不登校に対して直接的に何かするよりも、まずは私自身が体現したかったんですよね。

後3年で10年経つので、30歳までに自分はやりたいことを叶えて、その先は人のためになる直接的行動にシフトしていきたい。

小さい時からダンスが言葉の代わりになっていたので、ダンスと不登校を結びつけたいという思いがあります。

こんなに過去に色々あっても、どんな人にもなれるということを同じような境遇の子達に伝えたい。

今の私は明るく前向きに輝ける人生を生きているように見られますが、元々は自己否定の固まり、コンプレックスまみれで自分のことが大嫌い、存在理由に飢えていた子供です。

昔の自分に「将来こうなってるよ」って言っても絶対信じないと思います(笑)

でもそれだけみんなにも可能性があるんです。

みんなそれぞれ計り知れない可能性を持っているんです。

今悩んでいる子達は、昔の自分でもあるので、今この瞬間私が生きていること自体が未来への希望になってくれたら嬉しいし、生まれたことに罪悪感を持っている子や自己肯定できない子に、「生まれてきて良かったんだよ」と伝えられる存在になりたいです。

ルネサンス高等学校

<KIRI>

幼少期よりダンスを始める。
専門学校への進学、NY短期留学を経て、モダン、バレエ、Jazz、Hip Hop、TAP、またミュージカルや芝居も学び幅広いジャンルを身に付ける。
上京後は舞台やダンスイベント、TV出演、バックダンサー等の経験を積み、所属するダンスチームで結婚式フラッシュモブや介護福祉施設への訪問等も行う。
現在はエンターテイメント系大手企業の仕事を主に、インストラクターやイベント出演等の活動も続けている。








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