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家庭にも学校にも居場所がなかった【前編】

悠々ホルン

今回インタビューをさせて頂いたのは、自身の経験や3年間で約400人近くの子どもたちの相談を受けた経験を活かし、子ども達のSOSを音楽や動画で代弁する新ジャンルのミュージシャンとして活躍されている悠々ホルンさん。安倍昭恵首相夫人との会合や法務省主催「立ち直りフォーラム」に出演されたりと様々な支援をされていらっしゃいます。前編ではそんな悠々ホルンさんの学生時代をお伝えします。
ルネサンス高等学校

──幼稚園の時はどのような環境で育ちどのようなお子さんでしたか?

家族は両親と自分の3人でした。幼稚園時代は幼稚園には一応行くんですが、途中で幼稚園を抜けだして帰ろうとするような子でした。

親と一緒にスーパーに買物に行くと、同じ幼稚園の親御さんとバッタリ会うことがあり、その時に親同士の会話で出てくるのが「兄弟はいらっしゃいますか?」という会話でした。その当時は、自分の両親はもちろん「一人っ子」ですと答えていました。

そんな感じで時が過ぎ、小学校2年生の時に近所に自分の「姉」だという人が引っ越してきました。一緒に暮らした記憶も勿論ないですし、年も一回り以上離れていて、姉と名乗る謎の人物が突然現われたんです。

──それは同じ家じゃなくて近所に引っ越してこられたのですか?

はい、歩いていける距離くらいの近所に引っ越してきました。それまでどこにいたかも知らないんです。姉と名乗る人物は、たまに家に来る「よくわからない人」という感覚でした。

小学校4年生の時に、姉と名乗る人が結婚をし、子どもが産まれました。子どもが産まれたのをきっかけに、ほぼ毎日うちに来るようになったんです。

実は自分の両親も謎だらけで、例えば父親に関して言うと、親も兄弟も親戚も誰一人いないんです。父親の周りには全く人がいない。それも理由がわからないんです。

自分からしたら、他人が他人の子どもをうちに連れてくるわけなんです。それも自分の中では、不思議というか、許せないというか、おかしな話だと思っていました。

自分の両親がそれぞれの親を早めに亡くしていて、特に祖父の存在に関しては、両親ともほとんど知らないんです。そういうところもあり、両親は「親というのは子どもに対してこうあった方がいい」という基準があまりないんです。

自分の両親が、突然現われた姉に対して、まるで昨日まで一緒に住んでいたかのように家に迎い入れるんです。気が付いたら、自分の両親と姉の中で一つの家庭が出来上がっていました。

それはまるで、「今までいた世界ではなく、間違ってもう1つ別の知らない世界に来てしまった」という感じでした。

同時に、両親の自分に対する対応も変わってきました。見た目は自分の両親なんですが、中身は別人の人格に変わったかのように感じました。

具体的に言うと子供らしさを否定し始めました。例えば某アニメを見ていたら、有無を言わさず別のチャンネルに変えられたり、まだ小学生なのに「良い年してアニメを見ていたら馬鹿になる」など無理な大人の扱いをすようになりました。

次第に自分の家に帰ってきても、「他人の家族の中に、自分がお客さんとして来ている」という感覚になり、家族の中での居場所を失っていきました。姉が家に来ていることがわかると、家に帰りたくないので、近所を遅い時間まで彷徨うじゃないですが、宛もなく外を出歩くようになりました。

その状況を両親に気付いて欲しいわけです。「この状態はおかしい」ということ「自分は居場所がないんだ」ということを、子どもなのでうまく口で伝えることが出来ませんでした。

口で伝えられないので、それが行動として自然に出てしまいました。姉が来ていると、例えばご飯を食べていたらお茶碗を投げたり、言葉では言い表せない、抑えられない感情が湧き出てきました。

それに対して親は「子どもがおかしくなった」みたいに感じるわけです。

辛さを口にすることが出来ないので、当時リストカットというものを知らなかったのですが、気付いたら指先をカッターで切っていました。

切った指先でから流れる血で字を書くという行為をしました。辛い気持ちを字で書いて、父親に見せたことがあります。父親はそれを見て鼻で笑い、驚きもせずに終わりました。

その時に、「助けて欲しい」という気持ちや「辛いんだ」という気持ちは誰にも届かないんだと感じ、完全に心を閉ざしてしまいました。

その後、少しずつ体にも症状が出て手や足に赤い斑点が出ました。色んな病院に行ったんですが、結果的に原因はわかりませんでした。

小学校4年生の時から、学校での居心地も悪く、学校に行くのが辛かったんで不登校になりたかったんですが、家にいる方が何倍も辛いので学校に逃げるしかなかったんです。

小さい頃から歌を歌うことがすごく好きで、辛い気持ちを1人で抱えていた時に、そういう気持ちを歌った曲を爆音で聞いて耐えていました。音楽だけが自分のことをわかってくれていると感じていました。

小学生の時に、死のうと考え自分の部屋に縄を吊るして首を吊ろうとしました。

今になって考えてみると当時は過食症で、このままいくと成人病になると言われていたので、自分の体の重さや、縄の縛り方も緩かったので、縄がほどけてしまい首を吊ることが出来ませんでした。

──お姉さんは悠々ホルンさんに対してどのような接し方で接してこられたんですか?

基本的に今もなんですが、そんなに会話はないんです。関わることはなくて、同じ空間に入ってくるってだけなんですよ。

特別話しかけてこられた記憶もないですし、両親と姉とで空間が出来上がっているんです。自分だけ蚊帳の外みたいな感じですね。






家庭にも学校にも居場所がなく音楽だけが支えだった学生時代

悠々ホルン

──中学校時代はどんな状況でしたか?

中学生になると小学校時代より更に辛さが大きくなりました。体の症状がもっとひどくなってきて、あまりにも辛かったんで、本当は心療内科などの病院に行きたかったんですが両親が行かせてくれませんでした。

今だと心療内科も前に比べると身近になった感じですが、当時はそういう感じではなく、親は病院に行く事自体があり得ないという考えでした。当時、もし行っていたら何かしらの診断を下されたと思います。

中学校は、学校に行き席に着席すると突然咳が出始めるという症状が起こりました。戻しそうになる寸前まで、咳が止まらなくなるんです。

人の目も嫌でしたし、体も辛くて授業をまともに聞けないので、座っているだけでも苦痛でした。それを防ぎたくて、授業中に食べ物を食べたりしていました。咳が出だすと、戻す寸前まで止まらなくなるので、刺激を与えると出なくなるんじゃないかと考えました。

それもあまり効果がなく、最終的な対応策として授業中に寝るしかなかったんです。眠いわけでもないのに、学校に行って寝れるときは寝るという生活をしていました。そんな状況なので、勉強も頭に入るわけがなく成績も下がっていきました。

家では、姉が来ると今まで以上にヒステリックになっていました。小学校の頃に比べて、親も自分に対する態度が更にきつくなりました。

体も心もボロボロなんで、気付いて欲しいんだけど、親からすると「頭がおかしい」など、とにかく人格を否定することをたくさん言われました。

中学校2年生の時に、もう一度死のうと思い首を吊ろうとしました。しかし、また失敗してしまい、誰にも相談が出来なくて、音楽を聞きながら耐える日々が続きました。

──誰か周りの大人や先生が心配をして声を掛けてくれたりとかはしなかったんですか?

基本的には、学校でのキャラは優等生のような感じなんです。自分の本当の部分を誰にも見せられなく、常に仮面を付けて学校に行っていました。

両親が、「子どもがおかしくなった」と感じていたかもしれないですが、基本的に外では、自分の苦しい部分は隠して、上辺だけで付き合っていました。

そんな感じなので、周りが助けてくれることもなかったですし、自分も助けを求めようとすることはなかったです。

辛い気持ちを口にするということが物凄くハードルが高いことでしたし、何より両親に散々、自分自身を否定をされているので、他の誰かに言えばそれを肯定してもらえるという感覚がないわけです。

中学生時代は、家から避難するという目的で学校に行っていたので、小学校時代と同じく不登校になりたいけどなれない状態でした。

余談なんですが、中学校の時に一度引っ越しをしました。両親が本を読むのが好きだったので、壁一面が本棚で、その奥にあかずの間のような押入れがあったんです。

その押し入れの中には、素人が手を出すような機材ではなく、本格的な音楽を作る機材が置いてありました。

うちの家族の中で音楽を作る人はいなく、親に聞いたら全く知らないというし、その辺も謎なんですよね。姉の事もそうですけど、姉という存在について親に説明をされたこともないですし、本当にうちは謎だらけなんです。

そういう謎が多い状況も、「自分は本当は両親の子どもではないんじゃないか」とか「いったい自分は何者なんだろう」という状況が余計に不安感を募らせました。

──その後、高校には進学をされたんですか?

はい、高校に進学をしました。

中学校2〜3年生位の頃、たまたまアコースティックギターを手に入れました。音楽を聞くことも勿論好きだったんですが、絵を描いたりだとか創作活動が好きで、音楽を作りたいという思いが強かったんです。

自分の苦しみを吐き出す方法として曲を作り始めました。

体が追いついていない状況で、高校に進学したくなかったんですが、高校には軽音部があるというのを聞き、もしかしたら軽音部に入れば何かがあるんじゃないかと思いました。軽音部に入るという目的だけで進学をしました。

高校では、中学の頃と同じく、授業に出れば苦しくなってしまうので、授業中はずっと寝るんですが、部活の時だけ顔を出す生活をしていました。しかし、部活の時もいまいちやる気が出ませんでした。

家では当時、ネットも繋いでいなかったんですが、パソコンはあったので音楽を作るソフトをお小遣いで思い切って買いました。高校時代も音楽に没頭している時は、現実での苦しみを切り離すことが出来ました。

毎日深夜まで音楽を作り、精神を安定させて、学校に行けば眠るという毎日を送りました。

学校では、授業は真面目に聞いていなかったんですが、根が真面目だったので生徒会に入ったり、文化祭などイベント事では活躍していました。

高校の時の先生は、自分が何かを抱えているという精神的な状況に気付いてくれていたんじゃないかと思います。授業中に寝てても怒られなかったし、ほとんど怒られた記憶がないです。

退学を何回か考えたことがあり、先生に「退学をしたい」と伝える度に、「退学するなら一回休んだほうがいんじゃないか」という話になりました。

ちょこちょこ休みつつ、学校に通っていたんですが、高校3年生の夏休みに学校にまた「退学をしたい」と先生に伝えに行きました。

音楽の先生を信頼していて、先生にその旨を伝えると「音楽をやっていれば、君は成功するし、私は例え学校を辞めても応援をしたい。必ずしも学校にいることが正解だとは思わない。」という意見をおっしゃってくださりました。

担任の先生とも話しをして、夏休み明けからしばらく学校を休みました。3年生の夏休み明けに学校に行った記憶は文化祭くらいしかないです。

30日以上は休んでいるので「不登校はいつですか?」と聞かれると高校3年生と答えています。

高校3年生くらになってきた時期に、姉の子どもたちが大きくなってくると共に、姉と子供たちがうちに来る頻度が減ってきました。姉と両親の間に距離が出来た分、両親がちょっと元の状態に戻った感覚がありました。

なので今まで家にいる方が辛いという状況が、体のこともあり学校にいる方が辛いという状況になり、家と学校の辛さが逆転して、家でずっと音楽を作るような生活になりました。

不登校の時期は、「学校に行かなくては行けないのに、行けない自分はダメな自分だな」と自分をを攻めたり「いつか行くんだろうな。

じゃあ、いつだろう。その答えって自分で出さなきゃいけなんだろうな」など色々考えこんでしまい辛かったんですが、卒業をしたらだいぶ楽になりました。

その先の進路の話になりますが、体のことがあったので、大学に行くとなると必ず自分は自殺すると思ったので、進学も何もしないでとりあえずフリーターになる道を選びました。






自分の気持ちを理解して欲しいだけ

「気持ちを理解して欲しいだけ」ただこれだけのことで、どれだけの子供たちが苦しんでしょうか。そしてその子供たちが、両親に自分自身を否定をされているので、他の誰かに言えばそれを肯定してもらえるという感覚がないという意味が非常によくわかります。

子供たちの一つ一つの抵抗には深い意味があることをもっと大人は理解を示していくべきです。この動画は、悠々ホルンさんが制作した不登校の子供たち、親御さんむけの動画です。

かなり的確に気持ちを伝えているので是非見ていただきたいです。後編ではどのように悠々ホルンさんが、前を向いて現在の活動をされるようになったかをお伝えします。

<悠々ホルン>

千葉県出身。ミュージシャン。家庭環境をキッカケに、小学生の時から精神的な孤立、自傷行為や自殺未遂に及ぶ。その中で音楽を唯一の支えに生きてきた。次第に自らも音楽を作るようになり、実体験をもとにした楽曲をネット上に公開したところ、彼が背負っていたものと同じ様な心の傷を持った全国の10代の女の子を中心に応援・相談メッセージがメールや手紙にて届くようになる。これまで受けた相談の人数はここ3年程の間で400人近くに達し、その数は現在も増え続けている。
子ども達のSOSを音楽や動画で代弁し、悩める多くの子達の支えとなり、またその親御さん達に向けて子どもの本音を伝え親子関係の修復・傷付いた心を救う為に活動を行っている。

ルネサンス高等学校



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